★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

曹操殿には是非呂布の四人目の父親になってほしいのです(ニヤリ)

2012-06-13 23:39:39 | 文学


中国でやってた「三国志 Three Kingdoms」を少しずつ見ている。曹操の俳優(と日本の声優・ 樋浦勉さん)がよく、どうみても奸雄にはみえん、というか、一番頭の良さそうなのはやっぱり曹操。いまのところ、劉備は自分の先祖を自慢するおホモだち野郎にすぎない。義兄弟の張飛は、劉備が「お前は酒のむな」と言ったとたんに酒を飲んでしまうようなアホだし。関羽は髭が長すぎる。黙っていることが多いから賢そうにみえるけどどうかな……。

やっと第一部の最後(18話)までたどり着いた。筋肉馬鹿・呂布の最期であった。さっさと曹操軍と戦うべきところ、貂蝉(←まだ生きてた!)が計ったように危篤になったので、世話になっている公台の忠告を無視して「おれは看病に専念するっ」とか、いきなり戦国の世に「愛妻物語」。やっぱりすさまじく馬鹿だった呂布。だいたい、この突然の貂蝉の病気が、怪しい。このひと、もともと董卓と呂布の仲を裂こうとした王允の差し向けた刺客。女の演技を侮ってはならぬよ。呂布に惚れておるかのように振る舞っていたが、あやしいぞ。董卓をヤったあと、残るは呂布でしょうが。無理に病気になって、呂布を陥れたのではなかろうか。水攻めで進退窮まり部下に裏切られてつかまった呂布が刑場にひかれてゆくとき、ちゃんとぴんぴんして出てきたではないか。最期もわざとらしく、「将軍と一緒に死にます」とかすがりついていたが、こんな韓国ドラマ風のシーンを曹操が許すはずがない。曹操も貂蝉と寝室で遊びたいに決まっている。ということで、曹操が「二人を引き離し、呂布だけをやってしまえ」と命じたのは当然。呂布は最期まで馬鹿なので「お前が生きていればそれでいい。あの世で会おう」とか言っていたが、誰がお前と会うかっ。というか、その前に自分が乗ってた赤兎馬に感謝の一言もないとは、まったく恩というものが分かっておらぬな。例の牛乳引きの犬みたいに、馬が天国までお供したかもしれんのに。

劉備は、前回、戦場で離ればなれになってしまった義兄弟と再会して、お手て繋いでどっかに行ったはずなのに、なぜか呂布が曹操の前に引き出されてきた場面に登場。呂布が命乞いをするのでいったせりふが実に陰険かつリスキー。「曹操殿にお願いごとがあります。呂布には三人の父がいました。丁原、董卓、王允。三人とも呂布の世話になりました。曹操殿には是非呂布の四人目の父親になってほしいのです。」無論、この三人は呂布に裏切られ悲惨な最期を遂げている。言われた曹操は当然大爆笑。(ここで、「おい劉備、おれに死ねと言うのか」とかキレないところがさすが曹操殿)……まあ、それはともかく、腹黒おホモ劉備、さすがに、戦争より女をとったかわいそうな呂布の気持ちはわからない。先祖が自慢な奴なので、父親をころころ変えた人の孤独な気持ちもわからない。(そういえば以前、呂布と一対一で戦っていた張飛が負けそうになったので、関羽と劉備が助けに行ったことがあったが、三対一とは卑怯なり。)しかし、ここでも呂布は空前のアホだったので、逆ギレして「この大耳野郎が!」と劉備をどなりつける。囚われの身で誹謗中傷はあかん。だいたいその耳は劉備のよりどころである先祖から戴いたもの。

公台は昔、曹操に仕えていた。でも曹操が、叔父一族をあっさり皆殺しにすることをみて離叛する。どうも公台は、ニーチェを読むべきだ。曹操が感じているように、世の中もっとでたらめに出来ているのだ。アホスギ呂布が正攻法で言うこと聞く訳がなかろうが……。曹操が「お前が死んだら妻や子はどうするのだ」と言うと「大丈夫だ。天命を見出すであろう」って、酷い。少しは呂布を見習って家庭を大事にしなさい。で、結局曹操が彼の家庭の世話をすることに。処刑される前の公台のせりふ「なんといい眺めだ」って、文人になった方がよかったんじゃないかな……。

曹操は、公台が処刑されるのを見届けて涙を流す。するとそばにいた一兵士が「なんで泣いてるんですか」とか言う。軍律が乱れとるのう……。曹操も「おれは泣いてない」と言い張る。なにこのお涙頂戴。私が脚本家だったら、「おれは泣いてない」と怒った曹操はついでにそのくだらない私語をした兵士を叩き切るね。そして劉備の腹黒顔をもう一回映すね。

命賭けます

2012-06-12 23:06:22 | 文学
今日は厳しいことで知られる先生の授業公開を見に行った。学生その他によるともう「命がけ」でかからないとまずい授業だそうだ。しかし、学生その他が「命がけ」とかいってるときは、だいたい、演習の一ヶ月前に憂鬱になり、数日前から徹夜気味になるくらいの程度のことのように思われるのだが。そうではない場合は、もう少し違う理由がくっついているものである。そっちの方にまさに重大な場合が多いが、それはそれとして全体の問題として考えるわけにはいかない。

……今日の印象は、「確かに厳しいが大学なら当然」であった。学生を詰問したりする風になっているのは私の授業の方かもしれない。学生も大学の教員も、真に教育的に厳しいこととは何かということをもう少し考えた方がいいと思う。今日の授業はその点理想的なバランスと内実を持っているように思えたが、もう少し学生が優秀である必要もあった。学生に合わせて甘い態度を取ることは、学生を馬鹿にすることであるからそれはよくない。学生の「精神的な問題」として語られているもののなかには、学生の自身に対する思い上がりと、教員の側の学生の過小評価が絡んだものがある。それにしても、勉強の習慣が付いていない学生がかくも多いようにみえるのは、なぜなのであろうか。理由は簡単である。声のでかいちんぴら学生を教員がちゃんと抑圧しないため、その者たちの頭脳レベルにその他の学生が幇間のように従っているからである。つまり、問題は教育というより全体主義である。おそらく、勉強の出来る学生は、その全体性から逃れるためのある種の精神的トリックを自分に掛けてしまったものが多く、それゆえ、勉強が出来るが変なやつ、に成っている可能性がある。

と、それはともかく、――確かに、昔から自称厳しい先生にもときどきおかしな人がいた。なにかすると「死んでもやってこい。這ってでも出てこい」と言っている人で──考えてみればスポコン並に荒唐無稽でロマンチックなせりふであるが──、その割に授業の内容がいまいちなのである。教える立場に立っている今、厳しく内省すべきことである、が、だからといって、学生に優しいようで厳しい授業というのが容易に成立するとは思えない。実際は、単に優しい且つ易しいという授業になる。私が思うに、教授者が必死に勉強してゆくことを自分に強い、同等の努力を学生にも強いるような雰囲気を醸成することが困難だが重要である。教師と学生の関係は、最近、「双方向性」とかいう形式的な観念によって語られているため、学生の意向をフィードバックすることばかり言い立てられているが、これは授業を内容と関係ない形式的なコミュニケーションとして硬直化させる意味で非常によくない。本来、そういうコミュニケーションの把握は、授業準備のための前提にすぎず(というより、教師の人間を認識する力量の問題なのである)、学生の意向を知りつつ無視することだって必要になるのは自明ではないか。われわれは、理や真理に従うよう訓練されているはずであるが、気を抜くと必ず容易に人間関係のようなものを優先している。しかもそれを忘れる。しかも、よくない授業においては学問自体がひどいごまかしを含んでいる場合がほとんどであることを心ある人はわかっているはずである。学問より教育を優先せよとかいった形式的なセリフは容易には出てこないはずなのだ。



こっちは、本当に命を賭けてしまった人達の場合。左の映画では、ベース事件の後浅間山荘に立てこもった連合赤軍のなかで、まだ未成年だった加藤君が、「お前達、いまさら落とし前つけられるかっ。お前ら勇気がなかったんだよ」と他の年上のメンバーを怒鳴りつける場面がある。――これは、監督が連合赤軍に言いたいことでもあり、同時代の人間にも、監督自身が自分にも言いたいことなのであろう。確かに空気に抗うためには勇気が必要であろう。ただし、おまけ映像で元連合赤軍の人達が言っていたように、勇気があっても、もともと森や永田のいうことが半分もっともだと思っている限りその勇気は出しようがないのである。当時私は生まれたばっかりだし、これほど激しい運動をやったこともないから一般論でしかないが──、必要なのは勉強であり智慧である。それがなければ勇気なんかでるかっ。だいたい、浅間山荘事件の映画は、この事件を若さとか純粋さとか勇気とかの話にしすぎなのである。あの事件の問題は、さしあたり徹頭徹尾マルクス主義の思想の問題である。笠井潔の本やポストモダニズムの問題意識のあとに、かかるメロドラマが続出するとは、我々の社会がまだ、古典主義(秩序形成)かロマン主義(テロ)かという逡巡でうろうろしていることを意味するのではなかろうか。ただし、この逡巡を容易に相対化できると考えてはならない。吉本隆明などが言い、三島由紀夫や学生運動が提起していたのはそのことであろう。

右は、昔吉本隆明に罵倒されたこともある笠啓一氏が、最近訳したブレヒトの本。縁あって頂いたものである。花×清輝や大×巨人や武井×夫などが目立つ「新日本文学」を支えていたのは、氏のような人であった。「英雄を必要とする国が不幸なのだ」というせりふは、連合赤軍や我々に言う資格はない。氏のような人が言うべきせりふである。

雪国 対 人間機械

2012-06-09 23:44:39 | 文学
今日は、二つの同時代作家のイベントを見に行ってきた。この二作家を対立物としてではなく、共通する問題物として考えるのが以前からの私の目的である。一人目は、機械に乗って雪国に行く作品を書いた「がらんどうな」(小林秀雄)川端康成。二人目は、人間の抱える矛盾を意識的に構成して視覚的に定着できると考える?「人間機械」村山知義。



昼間は、菊池寛記念館でやってる川端康成展のための特別講演を聞きに行く。四国大の友重幸四郎氏のもの。昨年、芥川龍之介展の時は私がやったので、参考に聞きに行ったのである。どうも一般市民向けのものをどうやったらいいのかいまいちわからんので……。友重氏の講演は、「雪国」一つに絞ったものだったが、これに較べると私のものは様々な作家の作品を出し過ぎて散漫にきこえたかもしれない。友重氏のスタイルは、案外、作品論の研究発表に近いにもかかわらず、市民向けの感じになっている。私の場合、作家論や文学史に近い──というよりサービスしているつもりでいろいろ語った結果──、そのいろいろ(笑)の「関係性」を説明するために専門的になりがちであった。単純なことであるが、一般の読者は、ある作品の「読書」体験を深めたいと思っているのが普通であって、文学史や思潮史を聞きたい訳ではない──というかそういう観点をそもそも知らないからだ。それにしても、一般市民に向けてのお話というのは、そもそも教育が目的であろうか?啓蒙が目的であろうか?癒しであろうか?

 夜は、あごうさとし脚本=やなぎみわ氏演出の「1924 人間機械」を見に行く。村山知義の意識的構成主義からプロレタリア演劇への転向?を素材とした舞台である。アフタートークでも脚本家と演出家が語っていたことであるが、その転向?が本当は何なのか?という解釈が問題で、京都公演の時とは、そこをめぐって演出自体かなり変更されていたようである。今日の舞台では、その「転向」を、彼がはじめから機械であるが故に──「踊る村山」(意識的構成主義)から「しゃべる村山」(プロレタリア演劇)の創出=分裂といった風に、さしあたり描いた。機械から人間にもどったという風にとれなくない部分であったが、しかし、今日の演出の特異性は、この分裂はその一部が美術館や観客の持つイデオロギーによる分割であると挑発したところにあったと思う。

以下ネタバレ含む
 「しゃべる村山」は、「帝国主義絶対反対!」を連呼する──すなわち特定のイデオロギーに基づくために、×松美術館から追放され、選挙カーみたいな車で去っていった。観客は、途中で美術館の車庫まで歩かされてその模様を目撃した。そのとき、観客からは笑いがわき起こったが、それはどのような感覚に基づくものであろうか。その感覚を検証するかのように、今度は「踊る村山」が観客の後ろから現れ箱に入れられて、美術館に収蔵されてゆく。観客は、この分裂をいかに見たか?
 こうして、私も、このブログで「3びきのくまさん」のプロレタリアートバージョンを描いて遊んでしまった行為の意味を改めて確認できた次第だ。美術展の内容は、村山の投獄=転向時代が明らかに手薄だった。確かに「美術」展としては、前衛美術時代と絵本の絵に傾くのはしょうがないとしても、しょうがない以上の妙な抑圧があることも確かなのである。今日の演出が突いているのはそこであろう。
 一方、演出でいちばんの盛り上がりを見せていたのが、萩原恭次郎『死刑宣告』を描いた部分であろう。どうも観客が視覚的に一番面白がったのはこの場面かもしれない。そしてこの場面の極点で村山の転向?が起こるので、左傾した村山がなんかしらけた奴に見えかねなかった。研究上も非常に難しいところであろう。『死刑宣告』表紙デザインを行った村山に対し、「プロレタリアへの突進」の必要性を説くような口ぶりで転向を促しているようにみえる(「構成派研究の著者へ」)のも恭次郎なわけで……。

最近よく遭う猫様と今朝は脳内会話

2012-06-08 05:38:31 | 文学

「明石海人の「白描」を「白猫」と読み間違えて買ってしまいました」


吾輩は黒い訳だが


「申し訳ありません」


ひとしきり物音絶ゆる簷をめぐり向日葵を驕らす空の黝む


「黒さんさすがっす、明石海人を知っておられる。」


黒き猫黄なる猫などたはれつつ小雨すぎたる庭暮れむとす


「黒さんさようなら」

森田必勝 対 村山知義

2012-06-06 08:34:59 | 文学


観てきた。わたくしは常々、インパーソナルな天皇を絶対者とみなすといった三島の言いようを「ああそうだよなあ」とつい納得してしまうのが文学的な能力であり、天皇である必然性はないのに、という論理矛盾をみるのが社会学な能力だと思ってきた。早稲田や東大での三島の対話を聞くと、学生運動を乗っ取っている後者のタイプの質問者に対し、三島が困惑している様が見て取れるように思う。わたくしは、三島事件を、まずは徹頭徹尾彼の思想的帰結の事件と解す「べき」だとおもっている。その点で、この映画はすごく率直な語りでよかった。いまはやりの、三島がどう見えたか、といった相対主義(というか、他人事主義だね。その意味で映画「光の雨」は最悪だった……)を一切導入していないのがよかった。上の映画は、三島の文学を読んだことのない人にとっては、案外平板な記録映画の如く見えるかもしれない。しかのみならず、この映画の監督は、三島の文学の中核をなしているであろう、エロスと絶対者の関係については殆ど描いていないようにおもわれる。しかし、この点は、下手するとまた「三島の死は、トリスタンとイゾルデみたいなもの」、あるいは、「あれは森田必勝との心中なのだ」といった週刊誌的な見解に堕するおそれがある。

……わたくしはこんなことを考えたうえで、上のパンフレットのあった宮台氏の「情念の連鎖」が重要だという指摘はわかる気がした。映画は、途中から、三島がよど号事件や森田必勝にある種感化され引きずられてゆく様をえがいているようだった。多くの観客が感じることだと思うが、途中からこの映画は、森田必勝が主人公だというかんじになってくる。三島の演説をまったく聞こうとしない自衛隊員たちに対して、三島の傍らで鬼の形相の森田──、森田役の満島真之介氏の渾身の演技だった。この印象は、裏返せば、三島の文武両道の「武」──というか「行動」の部分であったクーデターで、何故に演説なんかやってるのか、という私の疑問でもある。2.26でさえもっと男は黙ってなんとやら、であった。あの状況で肉声を静かに聞くほど自衛隊員はおとなしくはない。三島は教育実習に行ったことないのかっ。というのは冗談であるが……、結局は「行動」ではなく、理屈で説明しなければならなかった事柄が重要なのに、三島自身と楯の会の数人ですべてやろうとするから無理があったのではなかろうか。──無論三島は分かっている。左の連中の方がもっと暴力の意味を知っていたところがあるね、つまり「群」の力だ。三島は心優しく個人主義者なもんだから、そんなものに頼る自分は許せなかったのに違いない。

で、映画の後みたのがこの展覧会



仮に三島を右というなら、左の村山知義である。村山が大正末期にドイツから帰ってきたあとの活躍は、あらためて展示されてみると驚くべきものである。彼は、本や雑誌の表紙のデザインを多くやっていて、我々がつい昭和初期のモダニズムとか思っているイメージのかなりの割合が、彼が手がけたイメージなのである。彼がニーチェ主義者で、「すべての僕が沸騰する」といったエモーショルな言い方を好みそうなのはなんとなく推測できるが、こういう人間が歳をとってくるとどうなったのか、がすごく気に掛かるところである。それは、確かに上の三島とも関係があるに違いないので、考えてみたいことである。