まめ文、通ひ通ひて、いかなるあしたにかありけむ、
夕ぐれのながれくるまを待つほどに 涙おほゐの川とこそなれ
いかなるなんとかにかありけむ、という言い方がわたくしは好きで、源氏の所謂「いつれのおほんときにか~」も、いつのことであったんだろうねえ、と言いながら読者にはいつのことなのか勝手に断定せざるを得ない心理が働くのではなかろうか。違うか……。――いずれにしても、要するに結ばれた朝のことなのはたぶん明らかで、だからこそ、「涙おほゐの川」という小学生みたいな男の歌が面白い。
返し、
思ふことおほゐの川の夕ぐれは 心にもあらずなかれこそすれ
対して蜻蛉さんの方は、多いとは言ってもそれは涙とかおしっことかいう小児みたいなもんじゃなく「思ひ」である。二人ともベッドインしたくせになにほにゃほにゃ言い合ってるんだと思うが、こんなもんなんであろう。事態は逆で、ベッドインを結婚に差し戻すのがこの歌の世界なのであろう。
また、三日ばかりのあしたに、
しののめにおきける空は思ほえで あやしく露と消えかへりつる
返し、
定めなく消えかへりつる露よりも そらだのめするわれは何なり
「そらだのめするわれは何なり」。さあ言ってみろ、私は一体あなたのなんなのだ?と問い詰めているのかもしれないが、もっと冗談みたいなものなのであろう。若者たちの「何それ~」みたいなものだろう。――が、それは彼らがこれからも仲良いことが前提なのだが、物語はそうじゃない。これはフラグなのであった。
と言うわけで、「蜻蛉日記」の作為ぶりはなんかあからさまな感じもするので……、わたくしはこの夫婦が仲が悪かったことも疑わしいとさえ思うのであるが、それもふくめて読者の楽しみと言ったところだ。
小林秀雄は、「平家物語」(『無常といふこと』)で、平家物語は、作者も知らない叙事詩の魂によって書かれていて、それは短調のシンフォニーみたいなものでその曲調は「哀調」じゃないんだ、みたいなことを書いている。蓄音機にしがみつく小林は、音楽の世界に、みえない叙事詩の魂を見出したのでかもしれず、音を人間の叙事的空間の役割に解放したかったのであろう。だから、我々の生きて居る町の中にすらモーツアルトがいなくてはならないのである。彼は、60年代にバイロイトに行って「バイロイトにて」を書いている。バイロイトはつまらない街で劇場も巨大な「喇叭」であった。ワグナーの世界は蓄音機の「中」の世界であった。小林は耳を澄まして最後にやっと舞台をちょっと対象化できる感じになった、みたいなことを書いていた――気がする。
「蜻蛉日記」にはその短調が聞こえるであろうか。いまのところ、私にはあまり聞こえないのである。わたくしは昔、「蜻蛉日記」の方が、源氏よりあとの作品だと誤解していたのは、なんとなく「蜻蛉日記」が心理小説的に見えたからだと思う。
叙事詩を書かざるを得なくなるときがあるのだ。魂は、人間に宿るものではなく、時代に宿っている。そして、今回のコロナ騒動のように、目に見えないものによって、一気に世界の網の目のような世界が浮き上がってきて、それがドラマというより叙事のようなかたちで書き記すしかなくなるのである。
小林は本当は「平家物語」にも不満だったと思う。そして自分が戦時下にあってそういう叙事詩を書ききれない自分を憾んでいた気がする。