安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
加齢と共に反応が鈍くなり、動きも緩慢になるのは止むを得ないことだが、
バドミントンをする上では大きな障害となる。
その対策として次のプレーを予測し心と身体を準備するようにしているが、
下手なプレーヤーの「ヤマ掛け」は外れることが多い。
予測が外れると直ぐ目の前に落ちるシャトルにさえ反応できず、相方だけ
でなく敵方からもヒンシュクを買うことになる。
怒声や嘲笑に耐えながらもバドミントンを続けているのは、老後の普通の
生活を「前倒しで体験出来る」ためでもある。
多賀城の叔父が市野々の叔母宅に逗留し、庭木の剪定をする約束となって
いるが、猛暑で実施が怪しくなっている。
「子供は偏見を持って生まれて来るのではない。偏見を学ぶんだ」と
スピードラーニングで人種差別の根深さについて言及していた。
このフレーズを繰り返し聞いている内に意外と意味が広いことに気が付いた。
子供が学ぶのは偏見だけでなく人間性や人生観も含めて、家族や周囲から
「知らず知らずの内に」多くの影響を受けている。
(東の山の二毛作大豆)
人生を振り返ると「悔やまれること」の多さに暗澹たる気持ちに陥ることがあるが、
今なお変わらない「お粗末な人間性」も含め、そのルーツを辿ると「育った環境」に
行き着くような気がしてならない。
毎度お馴染みスピードラーニングに次のような会話があった。
「へそ曲がりな人間はいるものさ。大半の人がしたがらないことをして、逆行することに
喜びを感じる」
この会話を聞いた時に「自分の事かも知れない」と一瞬思った。
自分の人生を振り返ってみると「大半の人とは異なる道」を選ぶことが少なくなかった。
しかし、それは逆行することに喜びを感じた訳では無く、自分なりに熟考したうえでの
決断で、それがたまたま大多数の人が選ぶ道と異なっただけのことだった。
それを一言で表現するならば「人生観の違い」或いは「価値観の違い」かと受け止めている。
(堆肥搬出を終え、新しい籾殻が敷かれた鶏舎)
直近の例では、周囲の大反対を押し切って脱サラし、「専業農家の道」を選んだことが
挙げられる。
これも別に逆行することに喜びを感じた訳では無く、「組織から離れた自由な世界で、夫婦が
いつも一緒に仕事が出来る」ことに魅力を感じ、また、「赤字体質の農家を立て直してみせる」
との野望もあったためだった。
このような「へそ曲がりな生き方」が「生涯現役」の支えとなっているのかもしれない。
。
「
今日できることを明日に延ばすな」と対極を為す言葉に「明日できることを今日するな」がある。
それぞれ深い意味があるのかもしれないが、単細胞人間はそのまま素直に解釈している。
どちらを採用するかは、その人の人生観等で異なるかと思われるが、少なくとも自分のような「老人」
には「明日できることを今日するな」がピッタリのような気がしている。
「もう少しで終わるので最後まで頑張ろう」と欲をかくと過負荷となり、それが尾を引いて翌日の
仕事に支障を来たしたりする例が少なく無い。
今日、「もう少しで終わる」と思ってスタミナ切れにも関わらず夕方まで頑張った3D作業は、
結局終えることが出来ず疲れだけが残ってしまった。
「人生は長い、無理は禁物」と再度自分に言い聞かせた。
TV等を観ていて馴染みの俳優や歌手の名前が直ぐ出て来ないのは日常茶飯事と
なってしまった。
そんな「物忘れ」が顕著になりつつある夫婦は、ゲーム感覚で「どちらが先に思い
出すか」を競ったりして愉しんでいる。
先日、平幹二朗の息子が出演している番組を観ていて、「この俳優の父親の名前は?」
となった。
数分間の「思い出し時間」を経た後に、妻が先に「アッ、幹平二朗だ」と言った。
何となく違和感があることは否めず、暫しの猶予時間を経てから、その間違いに気づき
二人で大笑いとなった。
(バックホーを使った倒木引き揚げ作業は今日で終了)
昨日も、昼食時に馴染みのラーメン屋に行って定番となっている「ニラ南蛮ラーメン」
を注文しようとしたが、咄嗟に品名が出て来なくなり冷や汗をかいてしまった。
老化は「新たな発見の始まり」と前向きに捉えたいが、「衰えて行く厳しい現実を目の
当たりにするだけ」なら、やや辛いものがある。
(参考) ネットからの情報
記憶は、①記銘(情報を学習し覚える)、②保持(情報を記憶として蓄える)、
③再生(情報を思い出す)の三段階から構成される。
加齢による物忘れでは③の再生の機能が低下することで、覚えていることを
思い出すまでに時間がかかるようになる。