私の携帯電話はカメラや財布等が入っている小さなバックに入っていて、軽トラの助手席に置いてある
ことが多い。
そのため、携帯電話に着信があっても出ることは皆無に近く、殆ど発信専用に近い使い方となっている。
今日の昼前、そんな皆無に近い携帯電話の着信に偶然応答したら、昔の職場の同僚の後藤文雄さんからだった。
「団体バス旅行で厳美の佐原ガスラ館で食事をとるところ。一時にバスが出発する」とのことだった。
草刈りで大汗をかいた作業着を取り換えて大急ぎで10数年振りの逢瀬に向った。
(昼食時に奥様に禁じられているビールをチャッカリ飲んだという)
後藤さんは初めて仙台勤務となった時の職場の先輩。
学区制が敷かれる前の仙台一高に岩沼から合格した秀才だったらしい。
「子供の頃は神童、天才と言われ、今はただの人」などとよくからかったものだった。
七つも歳が違うのに妙にウマが合って「お互いの人間性を高く評価していた」が、周囲の評価は二人共低かった
ように記憶している。
「熊ちゃん、今日は天気がいいから一杯行くか」と言ったかと思うと「今日は雨だから天気祭りしよう」と毎日
のように誘われた。
本人は「繊細な人柄」というが傍から見ると「豪快な人」だった。
マユツバもんの話しを聞いた時に、ツバを付けた指で眉をなぞる仕草をするのを得意としていた。
職場を異にした以降も「運命の赤い糸」ならぬ「運命の腐れ縁」で親交が続いていたが、退職時には体調を崩し
ていたので心配していたが、元気な姿をみて凄く嬉しかった。
後藤さんも「直ぐに逢いに来てくれたのは望外の歓び」と応じてくれた。
ことが多い。
そのため、携帯電話に着信があっても出ることは皆無に近く、殆ど発信専用に近い使い方となっている。
今日の昼前、そんな皆無に近い携帯電話の着信に偶然応答したら、昔の職場の同僚の後藤文雄さんからだった。
「団体バス旅行で厳美の佐原ガスラ館で食事をとるところ。一時にバスが出発する」とのことだった。
草刈りで大汗をかいた作業着を取り換えて大急ぎで10数年振りの逢瀬に向った。
(昼食時に奥様に禁じられているビールをチャッカリ飲んだという)
後藤さんは初めて仙台勤務となった時の職場の先輩。
学区制が敷かれる前の仙台一高に岩沼から合格した秀才だったらしい。
「子供の頃は神童、天才と言われ、今はただの人」などとよくからかったものだった。
七つも歳が違うのに妙にウマが合って「お互いの人間性を高く評価していた」が、周囲の評価は二人共低かった
ように記憶している。
「熊ちゃん、今日は天気がいいから一杯行くか」と言ったかと思うと「今日は雨だから天気祭りしよう」と毎日
のように誘われた。
本人は「繊細な人柄」というが傍から見ると「豪快な人」だった。
マユツバもんの話しを聞いた時に、ツバを付けた指で眉をなぞる仕草をするのを得意としていた。
職場を異にした以降も「運命の赤い糸」ならぬ「運命の腐れ縁」で親交が続いていたが、退職時には体調を崩し
ていたので心配していたが、元気な姿をみて凄く嬉しかった。
後藤さんも「直ぐに逢いに来てくれたのは望外の歓び」と応じてくれた。