今回からメールではなくラインで情報を共有化することになり、会の呼称も
「ユスリタカリの会」から「山形経済フォーラム」とすることになった。
また、天童ホテルで開催したのは家族の介護の関係で出席不可となっていた
山形市在住のF君に配慮したものだった。
今回もF君の数年分蓄積した舌鋒が鋭く「大笑い」の連続となった。
その毒舌の餌食となった私が、翌早朝、東京に向け出発する際、Hさんが
「昨夜は呑み足りなく無かったですか?」と声を掛けてくれた。
それに対し「いいや、煮え湯を沢山呑まされ大満足でした。現役時代は
冷や飯を食わされ、今は煮え湯を呑まされる可哀そうな存在です」と笑い
ながら自虐ネタを披露して天童駅に向かった。
(F君の労作「青雲の写真」の解説もあった)