同級生のKちゃんと初めて逢ったのは、幼稚園の入園式当日だった。
国鉄職員だったお父様と東京育ちのお母様との間に長女として生まれ、
戦後間もない貧しい田舎では、セレブに近い存在だった。
後期高齢者になった今も美しさを保っているぐらいだから、幼い頃の
可愛らしさは別格で、初対面時の衝撃は今も脳裏に焼き付いている。
しかし、小学の6年間を同じ教室で学んだにも関わらず、個人的に会話を
したことは一度も無かった。
当時は男子が女子と会話するのを蔑視する風潮があったためだったが、
今振り返ってみると「随分と勿体ないことをしたものだ」と悔やまれて
ならない。
そんな彼女と話すようになったのは就農後に産直店で時々顔を合わせる
ようになってからで、高齢のお父様を施設に入れることなく「自宅で老々
介護の毎日」とのことだった。
先日、そのお父様が103歳で天寿を全うされた。
葬儀当日、喪主が「父は兵隊として招集され、レイテ島で九死に一生を
得て帰還した。酒もタバコもやらず真面目一筋の人生だった」と挨拶する
のを聞いて驚いた。
大岡昇平の「 レイテ戦記 」を持ち出すまでもなく8万4千人もの戦死者
を出した悲惨な戦いを経験した人が身近にいたのだったら、早い段階に体験
談を聞いておくべきだったと悔やまれてならない。
田んぼは長い「中干し」を終え今日から給水を再開。