簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

掛川宿 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-05 | Weblog


 掛川新町の七曲がりを抜け、宿場の中心連尺にやってきた。
通りの両側はアーケードのある商店街であるが、車道に車の流れはある
ものの、歩道に買い物に歩く人の姿は殆ど無い。
どの地方都市も疲弊しているのか、嘗ての宿場の中心はどこも同じよう
な光景を見せている。



 当時この宿場の人口は3,443人、家数は960軒、本陣が2軒あり、旅籠
は30軒あったと言うから中間処の宿場町で有る。
連尺の道の右側に沢野屋本陣跡があり、その先の中町の左側に淺羽屋本
陣跡が有るが、案内表示のみで、古いものは何も残されていない。



 中町の交差点にある銀行の壁に、山内一豊と千代夫人の浮彫刻が飾ら
れている。若き一豊が名馬を欲しがったところ、夫人が密かに蓄えてい
た貯金を静かに差し出し、夫の願いを叶えたという逸話に纏わるものだ。



 街道は、右手の高台に聳える3層の掛川城を望ながら、西進する。
江戸時代に起きた東海地震で倒壊し、以後再建されることもなかった天
守であるが、平成に入り地元企業などの募金により本格木造で再建され
たという。城は小高い龍頭山に築かれた平山上で、街道のいたるところ
から天守を望むことができ、掛川のシンボルを実感する。



 掛川は、戦国時代に山内一豊が城主として10年間治めた場所である。
一豊は城の整備を進め、天守閣や大手門の建設をし、城下町の整備、
大井川の治水工事などに力を注いだという。

 中町の円満寺の前には、復元された城の「蕗の門」が建っている。
廃城後に寺が買い取り、柱を切り詰め山門として再建したものだ。(続)





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