掛川宿を抜け常夜灯の立つ地を右折し、下俣川を渡ると街道は北に
進路を変える。道標には「十九首」とあり、このおどろおどろしい地
名は、「じゅうくしゅ」と読む。道路脇に「十九首塚50m」の案内が
あり、それに従って右折し細い道に入る。
住宅や公民館が建ち並ぶ静かな通りを行くと、突き当たりが逆川の
堤防らしく、その手前に右に折れる狭い道がありその先が史跡公園に
なっていた。そこには平将門の首級を祀る塚と書かれている。
説明によると、『反乱に失敗した将門は、藤原秀郷らによって滅ぼ
された。秀郷は将門をはじめ一門十九人の首を持って京に上る途中こ
の掛川で、京から下る検視の勅使と出会った。そこで、近くの東光寺
で首を洗い、橋に架けて検視を受けることになった。
その後秀郷は「逆臣と言えど名門の将門の屍に鞭打つのは礼に非ず」と、
この地に埋葬し懇ろに弔ったという。』
昔は19の塚が散らばっていたらしいが、時代と共に何時しか姿を消
してしまい、終には将門の墓らしきものだけが残る有様であった。
昭和の中頃当地では発掘調査が行われ、1200年以上も前と思われる古
い刀や陶片などが出土した。その一画を整備したのがこの史跡公園だ。
公園には将門の五輪塔を中心に、卒塔婆風の石柱18基が周りを取り
囲む塚があり、地区の守り神として今でも盛大な供養祭を行っている。
先ほど渡った下俣川は別名を血洗川と言い、今では開発により小さな
水路となっている。
首実検は橋の欄干に架けて行われたことから、「懸川(掛川)」の地
名が起こったとも伝えられている。(続)
にほんブログ村