
次の宿場・見附迄の距離は一里半、凡そ6キロである。
少し行くと、モダンな木造の白い建物が目についた。説明に依れば
「旧澤野医院」の建物で、市の指定文化財に指定され「澤野医院記
念館」として公開されている。

間口が10.5間は、街道筋では大きな建物だという。
表の建物からは全体を窺い知ることは出来ないが、奥行きが29間もあ
り敷地は広大だ。
この地で代々医者として開業していた当家には、江戸末期から昭和に
かけて使われてきた病棟や居宅、渡り廊下などが建ち庭園もある。
古い建物は幕末から明治の初期にかけて建てられたものらしい。

袋井宿を出た東海道は、川井で県道に合流し暫くして松橋を過ぎる
と右の旧道に分かれる。
木原には一里塚が、住宅地の中に復元されているが、本来はこの場所
から60m東に有ったものだという。

集落中程の右側に、嘗ては熊野権現祠と言われ隆盛した許弥(こね)
神社があり、社前に「古戦場 木原畷」と「徳川家康公腰掛石」の碑が
ある。家康と信玄が戦った三方原の合戦の前哨戦の地として知られる
「木原畷の戦い」の場所だ。
徳川勢は信玄からの追撃を受けるが、殿の本田忠勝などの奮戦もあり、
浜松城に無事帰還できた。
その曰くの場所ではあるが、今は古戦場らしからぬ住宅地の中である。

よく知らないがここは、武田勝頼の斥候笹田源吾に由来する「木原
大念仏」の発祥の地でもあるそうだ。
源吾がこの地で討ち取られると疫病が流行り、祟りではと言われるよう
になり、墓の前で村人が慰霊の踊りをしたのがその起源だという。(続)


