簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

蛇蝎の如き嫌う (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-26 | Weblog


 木原の旧道を抜け、再び県道に出て道なりに進む。
やがて国道1号線が右から近づき、太田川を三ヶ野橋で渡ると、正面に
三ヶ野台と言われる小高い山が見えてくる。
1号線はこの小山を避けるように直ぐに右に大きくカーブするが、旧東
海道は真っ直ぐにこの小高い山を目指す上り道となる。



 松並木の残された道の途中に、「鎌倉時代の古道」の案内があり、更に
暫く行くと道は急な上りに転じ、山越えの様相を呈してくる。
その上り口に「明治の道」の石碑が建っていたが、この歩いている道が旧
東海道に変わって、明治になって整備された道らしく、国道1号線が開通
する以前の道と言うことになる。



 左程距離は無さそうだが、思いのほかの勾配で、歩きには結構きつい。
坂の途中には「江戸の道」を示す路標が、山の中に切り開かれた細い道を
指している。
古の「左坂の上、みかのの権現宮あり」と言われる古宮を経由するようだ。
地図で確認すると更に高台にある大日堂を目指す道らしい。



 「鎌倉の古道」も「江戸の道」にも興味は引かれたが、流石に様子の
分からない古道に踏み入れるわけにはいかない。
この草深い時期に、うっかり踏み込んで、蛇蝎(だかつ)の如き嫌うも
のに遭遇するのも御免蒙りたい。
四国八十八カ所の遍路道では、時々出会っているので、思い出すだけで、
ぞっとする。



 ハイカーが歩ける道なのか、入口に道路図などの案内板でもあれば良
かったと思う。
このまま緑のトンネルと銘打った明治の道を上れば、標高40m余りの、
三ケ野台の住宅街の広がる道となる。
この辺りが嘗ての立場跡(峠の茶屋)である。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする