簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

善光寺・仲道寺 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-09 | Weblog
 掛川と次の宿場・袋井との間は、2里16丁(約9.6㎞)と長丁場が
待っているが、比較的平坦なのは救われる。
秋葉街道の追分である倉真川に架かる大池橋を渡ると鳥居町だ。



 火防の神として12月15・16日の火祭りで知られる秋葉山へは、直進
でここから9里余り(約35㎞)の道のりで、ここには見上げるような
大鳥居と常夜灯が建てられていた。
その様子は広重の「東海道五十三次掛川」の天保版にも描かれている。



 東海道はその手前で左に折れ、暫くして鳥居町で左に天竜浜名湖鉄
道の西掛川駅を見て、ガードを潜ると、やがて江戸から数えて59番目
の大池一里塚跡だ。
更にその先、沢田ICで国道1号線や東名高速道路を越える。



 この辺りの所々には、見事な松並木が今も残されている。 
垂木川に架かる善光寺橋の辺りにさしかかると、右側に善光寺の大き
な森が見えてくる。
周辺は、かつては松茸の産地であったらしい。



 坂の上田村麻呂は東征の折、この地で難病にかかる兵士が続出し、
悪病退散の祈願をしたところそれが叶い、ここに善光寺を建立した。
以来この寺は、疫病退散の祈願寺として有名になったそうだ。



 江戸時代に入りその後火災で本堂を失い、普請の際に江戸と京都の
人足達がその距離を測歩したところ、この寺の位置で両者が出会った
と言い、以後東海道の中間地点、真ん中である事から「仲道寺」とも
言われるようになった。



 門前には「東海道眞中」と彫られた石柱や看板が立っている。
現在の測量に依れば、正確には天竜川の西辺りが中間地点らしいが、
折角に測歩までしたのだから、それはそれで良いのではと思ってみた
りもする。(続)





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