名古屋城の真東、三キロほど離れた東区徳川町に「徳川園」が有る。
尾張藩二代藩主光友が、元禄8(1695)年、隠居所として自ら造営した、
敷地面積約13万坪(44㏊)という広大な屋敷跡である。
江戸幕府が大政奉還をした明治以降は、尾張徳川家の子孫の邸宅とな
っていたが、昭和の初め名古屋市に寄付されたのを期に改修整備され、
「徳川園」として一般公開された。
平成には大規模な改修も行われ、新しい日本庭園として生まれ変わった。
舟を浮かべたという、大池を中心とした池泉回遊式の日本式庭園で、
典型的な大名庭園だ。
樹木や花木が豊富な園内は、四季折々様々な顔を見せ、格好の撮影
スポットとしても知られ、特に結婚式の前撮りでの利用も多いという。
高低差のある地形をそのまま生かして造られ、滝から渓谷に流れ落ち
た清流が、海に見立てた池に流れる様を表現しているらしい。
見学の流れ的には黒門口から入り、まず龍門の滝や大曽根の滝を見て、
その流れに沿って虎の尾からから龍仙湖に出て、湖岸の遊歩道を巡るの
が良いという。
園内には龍仙湖に臨んで建つ「ガーデンレストラン徳川園」があり、
フランス料理やワインが提供されている。
他にも「ガーデンホール」等が有り、地元では結婚披露宴や各種パー
テーなどでの利用も多い。
和風の「蘇山荘」は、昭和12(1937)年に、名古屋市が人口100万人
突破を記念して開催した「名古屋汎太平洋平和博覧会」の折り、迎賓館
として利用した建物だ。昼は喫茶、夜はバーとして開放されている。(続)
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尾張藩二代藩主光友が、元禄8(1695)年、隠居所として自ら造営した、
敷地面積約13万坪(44㏊)という広大な屋敷跡である。
江戸幕府が大政奉還をした明治以降は、尾張徳川家の子孫の邸宅とな
っていたが、昭和の初め名古屋市に寄付されたのを期に改修整備され、
「徳川園」として一般公開された。
平成には大規模な改修も行われ、新しい日本庭園として生まれ変わった。
舟を浮かべたという、大池を中心とした池泉回遊式の日本式庭園で、
典型的な大名庭園だ。
樹木や花木が豊富な園内は、四季折々様々な顔を見せ、格好の撮影
スポットとしても知られ、特に結婚式の前撮りでの利用も多いという。
高低差のある地形をそのまま生かして造られ、滝から渓谷に流れ落ち
た清流が、海に見立てた池に流れる様を表現しているらしい。
見学の流れ的には黒門口から入り、まず龍門の滝や大曽根の滝を見て、
その流れに沿って虎の尾からから龍仙湖に出て、湖岸の遊歩道を巡るの
が良いという。
園内には龍仙湖に臨んで建つ「ガーデンレストラン徳川園」があり、
フランス料理やワインが提供されている。
他にも「ガーデンホール」等が有り、地元では結婚披露宴や各種パー
テーなどでの利用も多い。
和風の「蘇山荘」は、昭和12(1937)年に、名古屋市が人口100万人
突破を記念して開催した「名古屋汎太平洋平和博覧会」の折り、迎賓館
として利用した建物だ。昼は喫茶、夜はバーとして開放されている。(続)
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