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江戸時代整備された五街道に次ぐ重要な街道とされたのが三国街道である。
当時江戸と佐渡とを結ぶこの道は佐渡街道とも呼ばれ、諸大名の参勤交代や新
潟奉行、佐渡奉行、島に送られる無宿人の往来や佐渡産の金など、諸物資の輸
送で重要な役割を果たしていたことから、この地に関所が設けられ厳重に行人を
監視することになった。
それが、「猿ヶ京関所」で、全国に53か所設けられた関所の内の一つである。
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明治元年の廃祉令により番所は取り壊されたが、江戸時代に建てられた役宅は
今、赤谷湖のほとり、猿ケ京温泉街の中心地に復元され、関所資料館として公開
されている。
ここには関所付近の絵図、関所備え付けの備具、当時の旅人の持ち物や、沢山
の通行手形などが残されている。
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通行手形と言うと、どうしても観光地のお土産屋さんで売られているあの将棋の
駒を大きくしたような木製のものを思い起こしてしまうが、当時の手形は基本的に
は紙に書かれた身分の保証書である。
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土地の有力者が、通行する関所の役人に対し、「この者は間違いのない者です」
と書いた証文で、今で言うパスポートのようなものだ。
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当時、備中の国玉島(現岡山県倉敷市玉島)の円通寺で修行していた若き日の
良寛が、母親の法要のため生まれ故郷の出雲崎に向かう時に、使ったとみられる
手形も残されている。
修行中の良寛の事は、円通寺にも詳しい記録が残されていないらしく、一説では、
帰郷が許されなかったと言われていたが、この発見が良寛の軌跡の定説を覆した
らしい。(続)
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