簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

小六と日吉の出合い (東海道歩き旅・三河の国)

2022-02-21 | Weblog
 岡崎の宿場を外れ国道1号線に出て、そこに架かる矢作橋を渡る。
流石に東海道ベルト地帯の幹線道、国道1号線を通る車は引っ切り無しだ。
東海道本線や、東海道新幹線は遙か南を抜けていて、橋の上からは見通す
ことは出来ない。
しかし、左手の名鉄の鉄橋では、時折赤と白の電車が「ガァーガァー」と
騒々しい音を立てながら通り過ぎている。



 橋の西詰め右側に、「出合之像」と名付けられた大きな石造が見える。
この付近を荒らし回っていた野武士の頭領、蜂須賀小六正勝が、日吉丸
(後の豊臣秀吉)とこの橋で出会ったとの伝承に因んだものだ。



 物語などでは日吉丸が橋の上で寝ていると、そこを通り掛かった小六が、
邪魔だと言って頭を蹴った事を、侘びろ、侘びないで押し問答になった。
しかしこの説には異論もあるようだ。



 『天文二十一年の夏の頃には、まだまだこの地は、乱世乱麻の合戦の
真ッただ中。矢作の大河は、どうとうと押し流れてはいたが、矢作の大
橋はなかった・・』(「新書太閤記 吉川英治 昭和42年 講談社」)
と書いていて、この時に橋は無く、それは作り話と述べている。



 同書に寄れば、日吉丸この時十七歳、『木綿針や絹針を小さなたとう
に包み、それを行商しながら、甲州、北越の方まで売り歩いてきた・』
そしてこの地で腹を壊し、『黄昏、この矢作川の畔に辿りつくと、その
痛む腹をかかえたまま、舟の中で寝入ってしまった』
そして渡舟をよこせ、と詰め寄る小六との諍いが起きたのである。



 本家本元、現場に立つ像に、どのような謂れが書かれているのか読ん
でみたいところが、国道には中央に分離フェンスが立ち塞がっている。
横断歩道もかなり先まで行かないと無く、向こうに渡れない。
知っていれば、橋の手前で渡っておくのだったと悔やむのである。(続)





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