簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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児島の野崎家 (下津井電鉄廃線跡を歩く)

2018-12-05 | Weblog

 旧下津井電鉄は、味野(児島)と下津井までの間6.5Kmが大正3(1914)年
に延伸され全線が開通した。
味野(児島)と茶屋町はその1年ほど前に開通しているが、これは鷲羽山越え
の岩盤開削工事に手間取った事や、児島の有力者であり用地の提供者であり、
開通後は大口の顧客となる野崎家に対する配慮が有り、取りあえず先行開業し
たようだ。





 野崎家とはこの地に住まう、備前を代表する大庄屋を務める家柄である。
江戸時代後期にこの地で生まれ育った初代・武左衛門は、当初は足袋の製造販
売を手掛けていた。その後父の跡を継いで味野・赤崎の地で大規模な塩田開発
に成功し、さらに藩命により新田開発などを手掛け、名字帯刀を許されるまで
に出世し、やがては「塩田王」と言われるまでになった。





 その武左衛門が残した広大な敷地と、天保4年から建築した民家が児島市内
には残されていて、この地域の主要な観光名所となっている。
平成18年に国の重要文化財に指定された「旧野崎家住宅」である。

 敷地面積はおよそ3000坪、建物の総床面積は1000坪と言われている。
入り口には長屋門を構え、それを入ると本瓦葺の母屋群が軒を連ねている。
更にそれに続き7棟もの土蔵群が建ち並ぶさまは圧巻で、見るものを圧倒する。





 中門を潜った先の屋敷の表書院前には見事な庭園が広がっている。
地元で産出した大石がふんだんに使われた石組枯山水の庭となっていて、古木
名木の茂る中に石灯籠や茶室を配し水琴窟を設けるなど贅を尽くしている。(続)


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