簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

安倍川の渡し(東海道歩き旅・駿河の国)

2020-04-01 | Weblog


 安倍川大橋の手前に「阿部川の義夫の碑」が建っている。
説明によると、『元文年間に紀州の漁夫が仲間と貯めた大金を持って
川を渡ろうとしたが渡り賃が高いので、着物を脱いで自ら川を渡った
がその時誤って財布を川に落としてしまった。



 それに気づいた人夫の一人が財布を拾いあと追いかけ、宇津ノ谷峠
の手前で引き返してくる漁夫と出会い財布を渡した。
漁夫は喜んでお礼を申し出るが、「当たり前のこと」として受け取ろ
うとしないので、奉行所に礼金を届けることにした。



 奉行所は人夫を呼び出し、礼金を渡そうとするがそれでも受け取ら
ないので、その金は漁夫に返し、代わりに奉行所から褒美の金を渡し
た』と言う。正直な川越人夫の顕彰碑である。



 当時の安倍川の渡し賃は、水深が脇下から乳通りまでなら六十四文、
へそ上は五十五文、へそまでは四十八文、股までは二十八文、股下は
十八文、ひざ下は十六文などと細かに決められていた。

 明治に入り川越人足が廃止となり渡し舟が運行し、更に「安水橋」
と呼ばれる木橋が架けられた安倍川に、鉄橋(トラス橋)が架かるの
は大正12年のことである。
この年に橋の名前も「安倍川橋」と変えられている。



 弥二さん喜多さんは、「昨日の雨で水が高いから」と言われ、一人
六十四文払って、人足の肩車でやっとの思いで向こう岸に付くと、酒
手を十六文も弾み、二人で百六十文支払って渡っている。

 「ヤレヤレご苦労」と別れた人足を送るのだが、見ればなんと川上
の浅瀬をすたこら難なく歩いているではないか。
あえて深みを渡し、一番の高値をふんだくられたのである。(続)



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