簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

十九首 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-07 | Weblog


 掛川宿を抜け常夜灯の立つ地を右折し、下俣川を渡ると街道は北に
進路を変える。道標には「十九首」とあり、このおどろおどろしい地
名は、「じゅうくしゅ」と読む。道路脇に「十九首塚50m」の案内が
あり、それに従って右折し細い道に入る。



 住宅や公民館が建ち並ぶ静かな通りを行くと、突き当たりが逆川の
堤防らしく、その手前に右に折れる狭い道がありその先が史跡公園に
なっていた。そこには平将門の首級を祀る塚と書かれている。



 説明によると、『反乱に失敗した将門は、藤原秀郷らによって滅ぼ
された。秀郷は将門をはじめ一門十九人の首を持って京に上る途中こ
の掛川で、京から下る検視の勅使と出会った。そこで、近くの東光寺
で首を洗い、橋に架けて検視を受けることになった。
その後秀郷は「逆臣と言えど名門の将門の屍に鞭打つのは礼に非ず」と、
この地に埋葬し懇ろに弔ったという。』



 昔は19の塚が散らばっていたらしいが、時代と共に何時しか姿を消
してしまい、終には将門の墓らしきものだけが残る有様であった。
昭和の中頃当地では発掘調査が行われ、1200年以上も前と思われる古
い刀や陶片などが出土した。その一画を整備したのがこの史跡公園だ。



 公園には将門の五輪塔を中心に、卒塔婆風の石柱18基が周りを取り
囲む塚があり、地区の守り神として今でも盛大な供養祭を行っている。
先ほど渡った下俣川は別名を血洗川と言い、今では開発により小さな
水路となっている。
首実検は橋の欄干に架けて行われたことから、「懸川(掛川)」の地
名が起こったとも伝えられている。(続)





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掛川宿 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-05 | Weblog


 掛川新町の七曲がりを抜け、宿場の中心連尺にやってきた。
通りの両側はアーケードのある商店街であるが、車道に車の流れはある
ものの、歩道に買い物に歩く人の姿は殆ど無い。
どの地方都市も疲弊しているのか、嘗ての宿場の中心はどこも同じよう
な光景を見せている。



 当時この宿場の人口は3,443人、家数は960軒、本陣が2軒あり、旅籠
は30軒あったと言うから中間処の宿場町で有る。
連尺の道の右側に沢野屋本陣跡があり、その先の中町の左側に淺羽屋本
陣跡が有るが、案内表示のみで、古いものは何も残されていない。



 中町の交差点にある銀行の壁に、山内一豊と千代夫人の浮彫刻が飾ら
れている。若き一豊が名馬を欲しがったところ、夫人が密かに蓄えてい
た貯金を静かに差し出し、夫の願いを叶えたという逸話に纏わるものだ。



 街道は、右手の高台に聳える3層の掛川城を望ながら、西進する。
江戸時代に起きた東海地震で倒壊し、以後再建されることもなかった天
守であるが、平成に入り地元企業などの募金により本格木造で再建され
たという。城は小高い龍頭山に築かれた平山上で、街道のいたるところ
から天守を望むことができ、掛川のシンボルを実感する。



 掛川は、戦国時代に山内一豊が城主として10年間治めた場所である。
一豊は城の整備を進め、天守閣や大手門の建設をし、城下町の整備、
大井川の治水工事などに力を注いだという。

 中町の円満寺の前には、復元された城の「蕗の門」が建っている。
廃城後に寺が買い取り、柱を切り詰め山門として再建したものだ。(続)





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掛川の七曲がり (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-02 | Weblog


 旧道はやがて掛川の新町にさしかかる。
昔はこの辺りに掘り割りがあり、橋を渡るとご門が有ったと言うので、
ここが江戸方の見付けに当たり、これより西方が宿内となる。



 ここからが有名な「掛川新町の七曲がり」である。
当時街道が通り抜ける宿場では、容易に敵を侵入させないための様々
な方策が取られていた。宿場の出入り口には、土塁を築き、門を設け、
番所を置く見附と言われる場所や、敢えて道幅を狭くし、更に道をか
ぎの手に幾つも折れ曲げる枡形(曲尺手)など、大群が一気になだれ
込まない工夫で、江戸の治安維持の役割も果たしていた。



 新町でそのまま直進すれば、300m程の距離で宿場の中心の連尺で
あるが、ここは忠実に七曲を辿り宿場中心に至りたい。
地図上を目測すれば、左に折れ100m、右に120m、左に50m、右に
150m、右に70m、左に100m、右に80mとなり、七度角を折れた後
最後に左に折れる。



 住宅地の中を歩くその距離は、直進する場合と比べると倍以上である。
昔はこの道一筋(もちろん裏長屋などに続く道はあったと思われるが)
だから、旅人は迷うこともなかったであろうが、現在は曲がるポイント
には交差路もある。サインがあるとはいえ、見落として逆方向に進んで
しまえば、歩きには戻ってくるのも大変で、市街地でのこのような道は
気が抜けない。



 何度も折れ曲がりながら進むと、終点には木戸と番所があり、そこは
高札場ともなっていて、城下への入り込みを取り締まっていたと言う。
再び県道に戻り暫く行った先が、掛川宿の中心連尺だ。(続)





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