まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

帰りの検証

2024-05-08 | 弓道
さて、そそくさと帰り支度をして、タクシーで京都駅まで行く。
運転手から、どちらから?と、聞かれて、加賀市からというと、自分は越前海岸ということで、話は電車が前より不便になったともらすと、昔は福井から京都まで9時間かかって、トンネルでは窓を閉めなくては真っ黒になりましたよ~と、昭和のど真ん中ではないね。
どうも、戦時中にお生まれになった気がする。

さて、娘たちにお土産でも買って、ゆっくり帰ろうかと思ったが、すぐにサンダーバードがあるので乗ることにした。
よくみると、今度は敦賀での乗り換え時間は8分しかない。
またまたエレベーターを利用しようと思ったが、アナウンスで
「エレベーターは、小さなお子様お連れの方、ご高齢の方・・ご優先で・・」とのことで、少し控えめに乗れたら乗りましょうと思ったが、ご高齢ではないと自分では思っていることに気づいた。


関西から石川県の電車は余裕があるように思えた。
ぎりぎりに切符を買っても、新幹線も特急も、弓の置ける端っこの席は空いていたからだ。
敦賀の乗り換えで、行と同様、扉が開くと前にエレベーターがあって、すっと乗れたので、今回は乗り換え4分と時短更新。
エレベーターに乗らずに、速足で歩かずにいたらどれだけかかるのかは分からないが、緊張感のある駅だ。

帰ってからニュースで、京都駅に不審なリュックが置かれていて、駅構内が閉鎖され、86,000人に影響が出たとのこと。
もたもたしていたら、危ないところだった。
さっさと帰るに越したことはない。

ちなみに、連休中の関西から北陸のサンダーバード、しらさぎの利用は減少したということだ。能登の地震の影響と「北陸応援割」の期間外となったことによるとはいうものの、東京からの客は多いというのだから、やはり乗り換えの不安ってあるかもと思う。
金額が高くなり、到着時間があまり変わらないことも要因の一つと思う。


昇段審査 京都

2024-05-06 | 弓道
5月5日。
聞法会館、朝食バイキング付きで10,300円。
お手頃のせいか、家族連れでいっぱいだ。
翌年の予約をしたいという女性客とフロントがもめていた。
事情があって予約は出来ないらしい。
わたしも前は殿と翌年の予約をして帰っていたが、今は自分も家族も状況が変わるので、その気にならなくなった。

ホテルにいるのも落ち着かないので、タクシーで8時半に出発。
「この時間はすいてるから助かる」と、運転手は言う。
バスは弓を持って入れないと友達から言われた。
確かに、他の人の迷惑になるので使わない。
しかし、みやこメッセに到着してがっかり。
「武道センターの使用はできません」と、貼り紙が日程表の横にあった。
ここで、完全に気持ちが萎えた。
ゆっくり弓を引きながら、出番待ちすれば、澄ましもできるかと。
変に時間が空くくらいなら、日帰りでも良かったのだ。
みやこメッセの前の、蔦屋書店でコーヒーを飲み、少し散歩してこいのぼりを撮っていたら「おかあさん、撮りましょうか?」と、50歳くらいの女性から言われ、つい返事して撮ってもらったが、おかあさんかぁ、おばあさんでなくてよかったと思った。




しばらく、審査の様子を見てから出番を待ち、早めに第三控に入った。
午後一番なので、3階の方がエアコンも効いていてよかった。
観覧席通路ではない控の場所は、関係者以外立ち入り禁止のはずだが、静かに待っていると、つかつかとわたしの前に私服の50過ぎくらいの少し変わった男の人が来て、「姉ちゃん!!がんばって」と、言われた。
5人の立ちは男の人ばかりだから、ねえちゃんは私だけだが。
明らかにおかしいが、わたしはついはずみでうなづいてしまった。
後ろの方が「お知合いですか?」と、聞いたので
「いえいえ、全く知りません。びっくりしました」
「姉ちゃんって、言ってましたね」
「はぁ‥笑えます」朝はお母さんと言われたな。と、声をかけられやすい隙があるのか?武道で隙があったら命とりだなあ。

とりあえず会の5秒は伸びることが出来、弓もいい具合にくるりと返ったが、矢は11時の所に外れた。乙矢は、やや会が足らなかったが的中したが・・。
まだまだ駄目だなあと思うし、七段など及ばないとは思うのだが、目標への気持ちは絶やしてはいけないと思っている。



控え室で同じテーブルの方が、長崎から来られたそうで、高校の部活の顧問になってから弓道を始められたとか。素晴らしい!!
もう、後期高齢者です・・と、笑っておられたが、この頃は先生も忙しく、経験者でない先生が、弓を始めるなどは考えにくい。
わたしは、高校から要請されて部活に顔を出しているけれどと、話しながら「捲土重来で!!」と別れた。
いい言葉だよね!!
そのためには、もっと力をつけて帰ってこなくてはならない。
同じことの繰り返しでは、つまらない京都一人旅でしかない。

加賀温泉から新幹線

2024-05-04 | 弓道
加賀温泉から新幹線に乗る。
どこか知らない街の駅みたいだ。
待合室は新幹線の改札を出たところにある。
連休中なので、駐車場の心配もあって早めに着いたが、売店もないし寂しい。



初めて京都へ行くわけではないのに、乗り換えが心配で前泊し、のんびり新幹線の旅でもと出かけた。
切符は1枚にまとまっていて楽である。
敦賀での乗り換え時間は12分なので、たぶん余裕だ。


弓を建てて置けるように、座席指定は隅っこに。


しかし、京都へ行くのに新幹線を利用するのは必要なのだろうかと思う。
後輩は、新幹線に乗らずハピラインとJR新快速で行ったそうだ。
湖西線山科駅で乗り換えて混雑を避けてとのこと。
わたしは、とにかく新幹線体験せねばと乗ったが、落ち着かない。
いつもなら、乗ってから文庫本を読んでゆったりと行けるのだが、少し読んでいると30分で敦賀に到着だ。
弓があるので早めにデッキに出る。出たらすぐにエレベーターがあって助かった。2階で降りて改札を通り、床に行き先が書いてあるのと、係員の誘導のお陰でスムーズにエスカレーターに乗り1階まで降りる。
おかげで、着席までに5分。サンダーバードで小一時間で京都到着。
どうしても、行かなくてはならないから京都へ向かうが、車で行く方がいいかもしれない。
これでは、電車で関西から石川県へ来る観光客は減るだろう。
仕事をしていても、来館者が関西からが多かったのに、最近はぐっと減ったような気がする。
京都へ早めに到着し、西本願寺まで歩いて25分かかった。





ザックは重いわ、暑いわ。ホテルに荷物を預けて昼ご飯を豪勢にと思って四条の方へ向かおうとしたが、暑い。夏やん。
後で知ったが、この日、加賀市が全国一番暑かったらしい。33℃って。
京都も暑かった。日傘で歩く人が多く、わたしは歩くのに危険を感じて、地下鉄にもぐった。
しっかり冷やした魚を、あぶって、冷やして、かつおのたたきみたいな気分だ。と、言ってもたたきになったことはないが。

みやこメッセに向かって、武道センターで稽古をする手もあったかもと思いつつ、暑さに負けて気力もなく。
明日、早めに行って稽古しよッと、楽な決断をして、この後、だらだらひとり旅。







夜桜 お花見

2024-04-06 | 弓道
弓道仲間と弁天さんにある公民館で恒例の花見の会。
本来なら講習会だったのだが、2週間前義母の容態が心配で取りやめた。
ドタキャンをするのもどうかと思って早めにキャンセルしたが、幸い良くなってきて、夕食の準備をして花見に出かけることができた。
久々に飲んで弓道談義を熱く語っているみんな。
さて、何をどう熱く語ったのか、酔いが醒めるとすっかり忘れている。
ただ、到達できないからこそ続けていくことが出来るのだと言っていたような。
少しずつ上っているようで、迷い込んでいるようなところがある。
それでも、みんながそのことだけで延々と語れるというしあわせ。
延々と聴かされる者はお気の毒。


わたし達はここを、弁天さんと呼んでいる。
毎年、同じ所で花見をするが、毎年同じ花を愛でているわけではない。
今年の桜は、今年しか見れないし、必ず次の歳は年を取っている。
桜の木も年を取っている。
若いままでいたかったら、若いうちに死ななくてはならないと、寂聴さんがおっしゃっていたっけ。
今いることに感謝する。
そばにいる人々に感謝する。





不思議の中り

2024-03-30 | 弓道
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
と、故野村克也監督がおっしゃっていた。
もともとは、長崎県の平戸藩主であった松浦静山(1760~1841)の言葉だそうだ。
さて、中りも同様で、まぐれ中りがある。
外れは、原因は明らかだ。
最近、中っても先輩に、「それで中るのはいかん!!」と、指摘される。
離れ際に、緩んでいるのだそうだ。他人事のようだが、自分では最後まで必死に引いているつもりなのである。
なので、この刹那のところが、悔しいというか微妙というか。
おまけに、殆ど稽古日は休まないのに、コロナのために10日間道場へ行かなかった。
たぶん筋力が落ちて、まともに引けないのではないか。
久々に上る階段。武道館の3階にある弓道場に到着すると、息切れしてしんどかった。
力が入らないので、かえって良かったのか皆中した。
あれっ?骨で引くってこういう感じなのか?
それとも、まぐれなのか?欲がなくて、中てようという小賢しさがないからか。


不思議の中りだったようで、稽古を続けると外れだした。
また、次の日、始めの6射5中した。
だが、やはり最後のところで緩んでいるようだ。
手首に力を入れないことは大事だが、全部抜くことでもない。
妻手がそのまま飛んでいくといいのだが。

先日、「ヒューマニエンス選」で、運動を司る小脳は、失敗を忘れることで上達するのだという。
忘れるから、上達するって・・。
積極的に忘れなければ、高度な技を身に着けることが出来ないのだそうだ。
運動学習は、失敗をしてエラーが出たら、その動きを捨てるのだそうだ。
弓は、毎回その動きを捨てているのか。
固執したり、そうしないように努力したりしていないか。
失敗したら嫌だと思うことが、失敗を導くような、そんな訳の分からないことを考えていないで、弓を引くべき。
「忘却は記憶の強化」というのも気にいった。
この頃は、忘却を許す毎日だ。
都合の良いように理解し自分を許す、この甘さが、生き抜く力となる。
完璧だと、小さなしくじりに心折れるのだ。
きっと、わたしは長生きするタイプだ。





花束贈呈

2024-03-27 | 弓道
正月の地震のために、県の祝賀会も、県庁の表彰式もなくなった。
それでも、会議の前に花束を頂くことが出来て、なんとありがたいことか。
おまけに、たくさんの方々が贈呈される中で、Yちゃん直々に手渡されて、感慨深いものがあった。
夫の余命を知らされて、半泣きで真っ先に電話したのはYちゃんにだった。
そのことが頭によぎって、じわっときた。
夫婦ともどもよく知っていて、お世話になった。
乗り越えられたのは、皆様のお陰様だ。
そして、ひそかにこのブログを覗いてくださる友達の皆様。

そして、なんと八重の百合が素晴らしい。
一週間経って、開いた花が豪華でびっくり。
「花粉がないんだよ」というので、よく見ると、確かに百合独特のおしべの花粉がない。
初めてみた!!
お陰様で、50年も弓を引き続けて、さほどうまくもならず、日頃の的中は奥ゆかしい。

ところで、県知事の表彰は地震で延期というのだが、会長とMちゃんと3人で、本当に表彰されたのか、表彰状も発表もないまま今期はもう終わってしまう。
別に、県庁へ出向かなくても、地震の対応も大変なので、それどころではないのなら、郵送してくれてもいいのにねと話していた。
新幹線開通の日は、加賀市へいらしていたので、地震だけではなく大忙しではありますね。
森元総理も見えていたので、そりゃあ大変ですわね。
何はともあれ、花の美しさに心癒される。






女子大会 結果

2024-03-10 | 弓道
大会は2射して、束ったら予選通過である。
石川県から14人参加し通過は2名。
最終的にS先生5位入賞。
さすがの実力だが、先生なら優勝も夢ではないはずだ。
しかし、腕に覚えのある方ばかりが揃う称号の部。ここを突破するのは、よほど強い心持ちか平常心のなせる技。

わたしは、頭ひとつ違うのではないかという背の高いに選手に前後挟まれて、おまけにお二人とも立射と言われ「大丈夫ですか?」と、問われ、小さいわたしは「大丈夫です。勝手にすわって、勝手に立てばいいですから」と、答えると、回りの方から笑われてしまった。
実際、3人の真ん中の小さいのがひとりで、立ったり座ったりしていても、前から見えないのではないかと思えて、いっそ3人一緒に立射にしてもいいくらいだと思えた。けれど、流れも良く落ち着いて引くことができた。

甲矢は的中し、ことのほか大きな音がした。乙矢は残念にも左上にそれてしまった。
たった2本引くために、遠出をしたが、富山の方や福井の顔見知りの方々と会うことが出来るのも楽しみのひとつだ。

帰りの時間が気になり、弓を持っているので、乗り換えを少なくするために、ちょうどよい電車に乗りたくて帰ることにした。
しかし、その後が大変だった。    
 
新幹線止まる に、続く。

全日本女子弓道大会(中日本の部) 藤枝

2024-03-09 | 弓道
石川の震災があった後、大会開催の静岡県からのお知らせで、中止せずに「復興支援大会」として開催しますとのこと。
例年愛知県のガイシスポーツプラザであるのだが、改修工事とかで、4年のコロナ中止の時を経て、藤枝市の静岡県武道館で行われた。

出発から寒く、米原では横殴りに雪が降っていた。静岡の天気は晴れというが風が冷たかった。

加賀温泉駅前は相変わらず日々の変貌を遂げている。
もう、新幹線開通までに一週間だ。
狭い駐車場、ゴーカート場みたいに、走路がくねくね作られているが、どのように変わるのか。
新幹線開通には、あまり期待感がない。
わたしの行動範囲の、名古屋、京都へ行くことが難儀になるからだ。




前日の代表者会議で、石川県として、状況報告と開催に感謝の言葉を述べた。
皆さんが、頷きながら聞いて下さっているのに心打たれた。

夜は小松の方たちと居酒屋へ。
藤枝の駅はイルミネーションが美しい。
しかし、人はそんなに見えなくて静かだ。そして、やたら寒い風が吹く。
明日はどんな風が吹くのか自分の中に。





妻手 勝手

2024-03-01 | 弓道
持つべきものは友。
「ネットに出ていたよ」とのこと。

「コトバンク」によると、妻手「つまて」
直角をだすための木工用の道具を古く中国では矩(く)といい,帯状の薄い金属板を直角に曲げた形に作ってあり,これに目盛をつけたものであり,かねざし,曲り尺ともいい,矩尺,鉄尺などとも書いた。長短2本の枝から成り,1尺2寸ないし1尺6寸程度の長さの長枝(ちようし)(長手(ながて))とその半分程度の長さの短枝(妻手(つまで))とから成る。と、言うことだ。

つまり、短い方が妻手なので、弓で引くところの曲がっている方を、妻手といい。呼び名は、馬手と同じにしたのだろうか。

AmebaブログのKenさんが、分かりやすく説明している。(抜粋)
妻手の他に、勝手の説明。
勝手は「箙から矢を刈る右手を刈手(かって)と呼びます。貞丈雑記巻之十一一〔武蕊之部〉 蔵王町刈田郡は「かりたぐん」とは言わず「かった」と呼び刈田岳は「かっただけ」です。
この刈手を勝手と表記するようになったのは,武士にとって勝利は重要で勝ち虫や勝栗のように縁起を担いだものと考えます。

その他、大変蘊蓄のあることが載っているので、興味のある方はそちらへ訪問ください。

妻手と勝手の謎解きが出来たので、箙なるものを探した。
載っているのは、なんと「福武 古語辞典」だ。
何とも、殆ど使った様子のない辞典である。娘が置いて行ったものと思う。
当然のことながら、昔の装束や、武具、馬具が載っている。
この箙には、ちゃんと弦巻がぶら下がっている。


余談だけれど、昔は戦闘で弓返りをさせないようにしていた。
回っていたら、次の矢を番える間にやられてしまう。だからと言って、時々向こう弦になるのをよしとするわけではないが、弓が返らないと昇段審査に受からないとすると、弓道の目的は何だろうと思ってしまう。
手の内が出来ていないという証が弓返りなのだけど、そこを習うのも教えるのも難しい。
だから、長く続けられるのかもしれない。
不器用な人ほど、長く続けられるのだと言われたことがある。
不細工と言われたら嫌だけど、不器用はそう悪くない。

めて かって

2024-02-28 | 弓道
先日の「右」の定義に、「弓を引くほうが右」を思い浮かべることが出来なかった。
わたくしとしたことが・・。コメントを頂いて気づいた次第で。
週に3回、必ず道場に行っているというのに。
弓を忘れた名人がいたけど、わたしの場合は迷人である。

それにしても、最近の高校生に「めて肘でしっかり引いて!」と、言ったらきょとんとされた。
「馬手に血刀、弓手に手綱」などと言っても、余計に分からないようだ。
わたしの言い慣れているのは、弓手(ゆんで)と馬手・妻手(めて)である。
いわゆる「押手」に対して「引手」のことなのだが。
押手というと、押すイメージがある。
弓手は角見が効いていたら、ことさら押さなくても、手の内が出来ていて、しっかり引いて、下筋が張っていればよいと思うのだが。
この辺の表現が難しい。それを、押すというのかもしれない。
手の内を決めたら、何もしなくてもひたすら引くと、自然と弓手は応えてくれて推すという感じになる。
口で言うのは簡単だが、その手の内が決まらないのである。
離れた後、向こう弦になっていて愕然とする。
つい力が入って、翌日目覚めたら弓手の中指がこわばっていたりする。
こんなとこに力を入れていたのか!と、その時分かっても次には違う問題が起きて、そんなことを何十年繰り返して、実のならない木のようだ。

昼休みに職場の辞書をつぶさに見た。
広辞苑(岩波書店)は、「右手 右の方、めて。」と、ある。めては、ひらがなである。
集英社の国語辞典は、「右手 右の方。めて・馬手」と、ある。
角川書店は「右手 右の手、また右の方、右側」だった。
ここで辞書では行き詰まる「めて」。

しかし、めては「妻手」とも書く。なぜ妻の手か?弓手が夫なのか?
弓手に従うからか?いや、先の説明では、めてが引いて弓手が応えるのである。やはり妻は重要なのか?
近所の散髪屋のおばちゃんが、「亭主のバカは隠せるが、嫁のバカは隠せない」と、言っていた。嫁がしっかりしていないと家は回らないという説である。
妻手を「勝手(かって)」とも言う。辞書にも、勝手とは「弓を引くときの右手をいう」とある。
何故勝手なのか?妻はお勝手を任されているからか。一生懸命張り合わせると、勝手に跳んでいくからか。
謎である。
「現代弓道小事典」では、「かって」とは、「弓手又は押手と称する左に対して、馬手・妻手と称する右手の事を勝手という。古くは引手といった。」
あらら、古くは引手?
謎は深まる。

何故そう言うのかは、諸説あるのだろうが、指導の際「ひきて」というより、「めて」「かって」のほうが、口から飛び出しやすい。

ちなみに、わたしの妻手は奥ゆかしい。勝手に飛び跳ねもせず、弓手に影響も及ぼさず。



弓仲間たち

2024-01-17 | 弓道
長い間、石川県で弓を引いていて、宝達志水までは殿が元気な時は、試合に出かけたが、能登方面は殆ど行ったことがない。
羽咋へは、遠いけれど講習会に頑張って車を走らせて出かけたけれど。

しかし、しばらくコロナ禍で抑えられていたせいか、解禁になって、TさんとYさんと共に、昨年7月に中能登の大会、9月には和倉温泉に泊まって能登島の大会に出かけた。
また、宝達志水も殿と出かけて以来久しぶりだった。
長い間弓を引いていて初めて能登で弓を引いた。それも立て続けに。

まさか、こんなことになろうとは。
今、宝達志水の道場も射場の隆起と、矢道と安土の地盤沈下で危険な状態。
能登島の道場も、安土は崩れ、矢道は隆起、射場の照明落下と、危険な状態。
中能登の立派な体育館続きの道場の、的場の屋根が崩れたとのこと。
本来、日々の生活が基本なので、弓が引けるようになるのはその後となる。
能登の仲間の無事を案じ、被災者の方々のニュースを観るにつけ、今ある自分の非力さを知る。
先日、わずかながら、居ながらにして出来るので、ネットバンキングで義援金受付の振込先に振り込んだ。
これとて、有名人のように多額に出来るわけではない。

水が不足というHちゃんに、電気はきたというから、さつまいもを炭酸水の缶1本で、甘くておいしいふかし芋ができるよ~とLINE。
炊飯器に入れて米を炊くようにスイッチポンで。


去年、試合の合間に、Hちゃんと「なかなか中らないよね~」と、話していたことを思い出して、中らなくてもそこにいて、ふたりで並んで座って笑っていられたことが、どんなにかいい時間だったか思い知らされた。









握りと矢摺り籐 巻き巻きデー

2023-11-08 | 弓道
押手の手の内が悪いせいか、矢摺り籐が切れてくる。
いや稽古量が増えたからだと言っておこう。
試合が終わってすぐ巻替えることにした。
30分ほど水につけ、庭いじり用の手袋を用意した。
籐を削るときにケガをしないよう。
先輩からもらったガラス片で指を切らないようにである。
本当は小刀でシュッと削りたいのだが、そうすると失敗して籐を切ってしまいそうで、確実に地道に細くできるガラス片は、そそっかしい私にはよい道具だ。




少し長くなってしまったが、まあいいか・・
ついでに握り皮も巻き直した。


その後、本日の料理は握りカボ。かぼちゃ巻。
握り皮の方向に豚バラを巻いて焼く。
巻き巻きデーとなった。




またまた一つ的射礼

2023-10-30 | 弓道
昨日は、小松で一つ的射礼をさせていただいた。
今回は大前で、落ちに控えるのは、身長180cmはあるだろうC先生。
わたしは148㎝。この身長差を中立のF先生が取り持ってくれる。
また全日本選手権で天皇杯を頂いたという経歴の持ち主と、実力の差と身長差がある。
あわらでの試合でも、後ろに控えたのは皇后杯を頂いたT先生。
今回も、我らが会長は、ガハハハッ「まぁ、がんばれや」で、あった。
道場に行けない日は、本座から射位までの長さを測って、家の廊下で稽古した。
5歩でちゃんと行くには、少し大股になる。
本番前の位取りで、「がんばって歩きます」と、言うと、
「頑張らなくてもいいですよ。合わせます」と、ベテランである。
しかし、途中の歩行は小さくてもいいが、射位までは決まった長さがある。
そこだけは、前進も後退もきっちりやらねば。
緊張する。おまけに、緊張するとお腹がグルグルなる。
後で、道場に到着してから少しお腹に何か入れるといいよと言われて、なるほど次はそうしようと思ったが、次はないかもしれない。
とにかく、しっかり引いて、会を満喫しよう。
稽古でいつも外れていた甲矢を放った。
トンと、的に中った。へぇー中ったやん。と、心の中でほっとした。
その後、中立のF先生も的中し、当然ながら落ちのT先生も的中。
3人とも甲矢の的中はいいもんだ。
乙矢を番えて、的を見ると雨が降り出していた。会を持つことに一生懸命で、離れで気が抜けてぼわんとした感じで離れ左上に。
滞りなく終わり、わたしにとっては超緊張の中で大きな失態もなく無事に終えることが出来てよかった。
後で、弓仲間に射が良くなっていて、会相も良かったよって、心配して見ていたって言われて嬉しかった。
もともと早気で、会を1秒でも伸ばそうとするとビクがきていたが、どうにか5秒は持てるようになった。
ガハハハッと、笑っていた会長も、「良かった良かった」と、不始末のなかったことにほっとしていた様子。
身長差だけでなく、慎重さにも欠けるわたしである。
小松の会長さんが「6射皆中になるかと思った・・」と。
御前の甲矢の1本って大事だなあと、つくづく思った。

しかし、その後の試合は、全く気抜けしていたような射で、2回目は皆それしてしまった。
おまけに、チームでも、あろうことか全抜けだ。
3人して、初心者でも1本は中るよね・・と、力なく荷物をまとめた。
これって一体何なのだ。
あんなに稽古では中っていて、調子が出てきたなあって思っていたのに。

家に帰ると、疲れて夕食の準備の前にソファーで、数分寝てしまった。
体力がないなあ、ここ何日か稽古でも緊張していたなあ。
まだ、伸びることが出来るんだろうかと期待してしまうのが弓道の魔力なのである。
それで、皆それしてもまた懲りずに出かけるのだ。
何と非効率的な、何と生産性のない。
先輩方々に叱られるかもしれないけど、伝統的な格調高い武道と思いたいところだが、今やスポーツのような感覚である。
スポーツの類はみんな暇つぶしみたいなものかもしれないけれど、これに真剣に取り組むこの馬鹿さ加減がやりきれないほど愛おしいのである。
のめり込んだらどこまでも止まらない。
やればやるほど、非力を知る。






矢が悪い・・訳ではない

2023-10-26 | 弓道
射礼用の白羽の矢で稽古していたら、何回やっても甲矢が外れる。
始めの1本が大事なのに、甲矢ばかり抜けるので、この矢が悪いのではないかと疑いだす。
後輩のO君が「初めに乙矢を引いてみたら?」
「ほんと!!気づかなんだ・・」
乙矢を先に引いてみたら、外れた。
2本目に引いた甲矢が中った。
要するに自分が悪いのだった。
これで安心して外すことが出来る??
道具を疑うと、自身に反省がなくなる。
しっかり引いてどうにかなるさということか。
何年やっても、これだ!という風にはならない辛さ。
めったに褒めない辛口の先輩に、前より良くなったねと言われると嬉しいが、
なかなか中りに繋がってこない。
くれぐれも道具のせいにしないよう、道具の手入れは怠らず。
とはいえ、この弦・・そろそろ替え時かな。
弦音が悪いのも自分のせいだわ。

三欠状態

2023-10-09 | 弓道
3つの欠の話である。

学生時代のように、早朝稽古して、夕方稽古して、50本60本など平気で引いていたように思うが、今は身体を大切にする年齢。
そうなると、ほどほどの稽古では、じわじわと筋力が衰えそうだしと考える。
75歳を過ぎた先輩が「筋力不足で、筋欠や」と、言われる。

そこで思った。「酸欠、筋欠、緊欠」で、三欠。
酸素の欠乏は、会の長さを伸ばそうと、いわゆる「引かぬ矢束」を、求めると、「あぁ~息苦しい」となる。
息を止めている訳ではないが、水に潜っているように、息を出し切ってしまうと苦しい。
ちょっと吸うこともできるのだが、変に息継ぎしたら、ビクがきたりする。
とはいえ、酸欠になるほど持ってはいない。
せいぜいで、3~4秒では早いが息は楽なのである。
もっと潜れ、獲物は深いところにあるぞ!!そのための会なのである。

筋欠は、たんぱく質を摂って、稽古に励むしかないが、高齢になると休むとすぐ筋力がなくなる。
かといって、稽古し過ぎると、肩の根などがずきっときて、やばいぞ状態になる。
わたしは、指にも力が入っていることがわかる。
朝起きると、押手の薬指がばね指のようになっていることがある。
本数をかけなくても、下手な弓を引いた翌日は、どこかが痛かったりする。

緊欠は先日起きた。
緊張で、一つ的の稽古を何回もして、何とか大過なく終えた。
その2日後、協会の弓道教室の開講式があって、会長不在のため、代わりに挨拶と矢渡をすることになった。
内輪の教室であることで、なんとなくリラックスしてしまい、身体が自然に動くだろうし、ひとりなので自分の息合いだけ考えればいいと、すらすらやっていた。
甲矢は11時のところへ抜けて、あろうことか安土に刺さり切らず、羽がほろりと地面に垂れ下がった。そこだけ土が固まっていたようだ。
かっこ悪いなと思いつつ下がるとき、アッと思った時には遅すぎた。
7歩下がって気づいた。下がり過ぎだ。
一つ的の稽古で身についてしまったのだ。
切り替えが出来ず下がりすぎて、結局、少し大股で射位に復帰してごまかした。
これは、緊張の欠乏だ。緊張は本気になる印。
これが欠けては、見てくれている方々に申し訳ない。
的中が確実でないならなおさら、体配を仕上げなくては。
そこから緊張し始めた。なんとか乙矢が的中したが。

矢渡の際には、的の周りの土は柔らかくしておかねば。
実は、その日の安土は私が水をかけて、的もかけたのである。

この後も、三欠は襲ってくるであろう。
それにめげずに今日も行く。