できればこの事件は一生秘密にしておきたかった。
どこへ出かけても、帰ったら旦那に報告する。
旦那は聞きたくも無いが、さえぎるとますます恐ろしい出来事になるので、いつも黙って聞いている。
しかし、この日のことだけは長く伏せていた。
話そうものなら、鬼の首を取ったように日頃の報復を始めるに違いない。
馬鹿にされるのは筆致だ。
それは、かれこれ7年前に遡る。
会社の組合女性部の部長になって(当番みたいなもの)石川代表で
名古屋の研修に出かけることとなった。
2日間の工程で、1日目は岐阜の可児市にある工場見学から始まる。
石川からは、小松の○さんと、わたしと中央の役員をしているHさんとが行くのだ。
小松の○さんは、わたしとHさんが加賀から乗り込んで合流するため、指定席も同じ場所にとってある。
Hさんは活動のベテランで、東京、名古屋、果ては海外も辞さないという人だ。
加賀温泉駅で落ち合うと、わたしは大船に乗った気持ちとなる。
とにかく名古屋のホテルまで行って、そこから軽装で、
バスに乗り可児市へいく段取りを聞き余裕。
ところが、ホームで何故かふたりとも話が盛り上がっていた。
何の話をしていたか分からないが、すっかり興じていた。
目の前に普通列車が止まり、また出て行く。
そろそろかなあと、来た電車を見たら、それはすでにドアが閉まり終えていた。
「この特急では・・・」と、互いに気づいたが遅かった。
「そんな馬鹿な・・」と、言ったかは覚えていないが、馬鹿なのは自分である。
わたしたちふたりは、早くからホームにいて、乗るべき特急をお見送りしてしまった。
それからが大変。
中央へ電話して、次の特急で名古屋へ行ったら、ホテルへ行かず直接工場へ行くことにする。
小松からの○さんは、かわいそうだった。
こちらは乗れなかったとはいえ、ふたりなので割と余裕がある。
○さんは、どこへどうやって行くのか分からず、パニックとなったそうだ。
わたしとHさんは、ようやく可児市のショックアブソーバーの会社へ到着。
守衛で不審がられ、案内された部屋では、すでに会社案内のビデオを観ている最中で、大きな荷物を下げたわたしたちふたりは、とんまなコンビとなってしまった。
「大丈夫でしたか、何か事故が・・?」と、中央の役員たちが言う。
電車の事故でもないし、階段で転んだわけでもないし、切符を落としたわけでもない。
わたしは、全国的に有名なHさんの陰に隠れて息を止めていた。
事件の元は、わたしと親しく話していたからに他ならない。
しかし、わたしは無名をよいことに、じりじりとHさんとの間隔を広げてみた。
工場見学を終える頃には、何事もなかったような感じとなるのだが、皆は身軽。
わたしとHさんは、移動のたびに旅行カバンをぶら下げているので、ホテル到着まで遅刻犯のレッテルがべったり張り付いている。
小松の○さんと一緒の部屋で泊まった。
とにかく、彼女も大変だったとのこと。
名古屋で降りてホテルへ自力で行くのは大変と思う。
なぜなら、どこのホテルなのだろうというところから始まるのだから。
ひどかったわーと、言われながら、平謝りに謝り、そのうちにベットへ入ってから彼女のいろいろな幼いときの話しなど聞いていたら楽しくて、またまた夜更けまで話し込んだ。
幸いにも、ここで話し込んで朝寝坊しても、誰かが呼びに来てくれる。
研修はこのホテルで行われるのである。
ふたりとも寝不足となった。
元凶はわたしかもしれない。
しかしながら、これを境に、わたしと○さんとHさんの絆は深くなったのである。
だからといって、解任後一度も会った事はない。
きっと、互いに忘れたい思い出のひとつなのだろう。
どこへ出かけても、帰ったら旦那に報告する。
旦那は聞きたくも無いが、さえぎるとますます恐ろしい出来事になるので、いつも黙って聞いている。
しかし、この日のことだけは長く伏せていた。
話そうものなら、鬼の首を取ったように日頃の報復を始めるに違いない。
馬鹿にされるのは筆致だ。
それは、かれこれ7年前に遡る。
会社の組合女性部の部長になって(当番みたいなもの)石川代表で
名古屋の研修に出かけることとなった。
2日間の工程で、1日目は岐阜の可児市にある工場見学から始まる。
石川からは、小松の○さんと、わたしと中央の役員をしているHさんとが行くのだ。
小松の○さんは、わたしとHさんが加賀から乗り込んで合流するため、指定席も同じ場所にとってある。
Hさんは活動のベテランで、東京、名古屋、果ては海外も辞さないという人だ。
加賀温泉駅で落ち合うと、わたしは大船に乗った気持ちとなる。
とにかく名古屋のホテルまで行って、そこから軽装で、
バスに乗り可児市へいく段取りを聞き余裕。
ところが、ホームで何故かふたりとも話が盛り上がっていた。
何の話をしていたか分からないが、すっかり興じていた。
目の前に普通列車が止まり、また出て行く。
そろそろかなあと、来た電車を見たら、それはすでにドアが閉まり終えていた。
「この特急では・・・」と、互いに気づいたが遅かった。
「そんな馬鹿な・・」と、言ったかは覚えていないが、馬鹿なのは自分である。
わたしたちふたりは、早くからホームにいて、乗るべき特急をお見送りしてしまった。
それからが大変。
中央へ電話して、次の特急で名古屋へ行ったら、ホテルへ行かず直接工場へ行くことにする。
小松からの○さんは、かわいそうだった。
こちらは乗れなかったとはいえ、ふたりなので割と余裕がある。
○さんは、どこへどうやって行くのか分からず、パニックとなったそうだ。
わたしとHさんは、ようやく可児市のショックアブソーバーの会社へ到着。
守衛で不審がられ、案内された部屋では、すでに会社案内のビデオを観ている最中で、大きな荷物を下げたわたしたちふたりは、とんまなコンビとなってしまった。
「大丈夫でしたか、何か事故が・・?」と、中央の役員たちが言う。
電車の事故でもないし、階段で転んだわけでもないし、切符を落としたわけでもない。
わたしは、全国的に有名なHさんの陰に隠れて息を止めていた。
事件の元は、わたしと親しく話していたからに他ならない。
しかし、わたしは無名をよいことに、じりじりとHさんとの間隔を広げてみた。
工場見学を終える頃には、何事もなかったような感じとなるのだが、皆は身軽。
わたしとHさんは、移動のたびに旅行カバンをぶら下げているので、ホテル到着まで遅刻犯のレッテルがべったり張り付いている。
小松の○さんと一緒の部屋で泊まった。
とにかく、彼女も大変だったとのこと。
名古屋で降りてホテルへ自力で行くのは大変と思う。
なぜなら、どこのホテルなのだろうというところから始まるのだから。
ひどかったわーと、言われながら、平謝りに謝り、そのうちにベットへ入ってから彼女のいろいろな幼いときの話しなど聞いていたら楽しくて、またまた夜更けまで話し込んだ。
幸いにも、ここで話し込んで朝寝坊しても、誰かが呼びに来てくれる。
研修はこのホテルで行われるのである。
ふたりとも寝不足となった。
元凶はわたしかもしれない。
しかしながら、これを境に、わたしと○さんとHさんの絆は深くなったのである。
だからといって、解任後一度も会った事はない。
きっと、互いに忘れたい思い出のひとつなのだろう。