まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

手の内

2008-08-27 | 弓道
毎日こつこつと練習を積んでも、違う方向へ流れていく。
自分では崩れていくことが分からないことがある。
コーチがついているわけでもない地味なスポーツ。
武道というにはあまりに取り組みに軽さがあることを反省しながら、それでも今より、よりよくならないかと思っている。
その中で、何が一番大切かといえば、中たった日の喜びの裏にある怖さ。
練習中にばか中たりしてしまい、例えば10本引いて、10本とも中たり
「やはりわたしって天性のものがあるのかも・・」と、自負してしまう。
おまけに、やはり手の内だな。と、一番難しいと言われる「手の内」の大切さをつい相棒に語ってしまう。
弓を握っているほうの手の形で、そこには沢山の謎と技術がある。
もちろん、簡単に出来る人には謎とは言わないが、なかなか的中しない場合、ここで悩むのである。
そして、なんとなくクリアしたような気になるのが中たりである。
本来、メンタルな面もあるが、すべてに気を配らなくてはならないのに、部分をこねくりまわして、墓穴を掘る場合がある。

お調子者なので、中たるとどんどん引いてしまって、間合いが早くなり、おまけに自己流がでるし、気づいたときには、またまた的中が落ちている。

他人の目から見てもらうことは大切で、手の内どころか「頬づけが甘い」と、指摘された。
わたしの頬がこけているからつかないのか、甘いのなら塩をつけたらよいのかと、言いたい気持ちを抑えて、ひたすら反省する。
基本的なところで、全く初歩的なところを言われて愕然とする。
他人に手の内を見せるなとか、いろいろ秘密めいたものを持ちたいが、中たり外れは白黒はっきりしている。

本来は、わたしってやっぱり天才なんだ・・と、思いたいのである。
しかし、それは楽しては得られない。
また、日夜の努力は続くのである。