封筒に入った給料をもらった。3年前に会社を辞めて以来、久々に嬉しい。長年勤めていた会社はタイムカードはなかったので、押し忘れそうになる。また、給料は振り込みだったので封筒でもらうと若いころを思い出す。午後数日しか行っていないので、雀の涙ほどだが、出るのと入るのでは大きな違いだ。
さて、お洋服も美味しいものも買わない。早速、竹矢を買うことにした。先日、全日本弓道大会の県予選に称号者は極力出るようにと言われたが、弓が回らない者は錬士は無理だと言われ、今では五段も無理と言われ、角番状態の技量で人前で披露できるものではないと思ったが、それより何より引く矢がない。競技用のミズノの1913はあるが、竹矢はぼろぼろで、唯一持っているのは、大鳥の「薄兵尾」で、絶滅危惧種のものは使用禁止とのお達しが出た。
自分の物なのに使えないとは、晴れの舞台のために買ったのに残念である。同じ思いをしている弓道人は多い。そうでない矢は自身で「トレーサビリティ」を作って、いつでも提示できるように持っていることとの通達。弓道場のどこかに監査役が潜んでいるのか。内部統制の者がいるのか。世の流れには小市民は抵抗できないのである。矢の使用禁止は仕方ないが、憲法や原発に関しては黙っていてはいけないだろう。
話は戻すが、さて、お給料を遊びに真っ先に使う喜び。同居の婆さんは「うちで遊んでいる。」と、よく言うので、働かないと遊べないのである。実家の父もよく言っていた。「弓なんか、くそにもならん。」と。そういう人にはくそにもならんのである。そうでない人には、禅であり哲学であり、武道であり、スポーツの喜びありなのだ。昔の人は、お給料は真っ先にお米になった時代を過ごしたので仕方がないと思う。