まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

お墓を建てる

2015-06-05 | 暮らし

ほんとうに困った親子だ。

爺さんは「わしが死んだら、隣より少し大きめの墓を建ててくれ。」と言っていた。それに対して、息子は「気になるんなら、自分で建てればいいやろ。」と、言う。爺「自分で建てたら、後の者が粗末に扱うやろ。」と言った。

結局、嫁が建てるのである。そして、嫁と姑が入ったらこの墓は誰も入らないのである。以上4名。

ここが終着かいな。と、なんだか変な気持ちだが、墓は生きている人の心の拠り所なのかもしれない。確かに、残ったものの仕事である。

いろいろな手続きをし、49日の法要をし、墓を建てるという宗教的儀式も、昔からの知恵なのだろう。ひとつひとつ済ませていくと、気持ちも落ち着いてくるようだ。

ついでに言うなら、葬儀も「終了」は、良くない。通夜と葬儀で終わらせないと、だらだらと何日も弔問の方々がみえて、うちを空けられないのだ。2週間くらいは、誰かが家にいるようにした。

さて、唯一の男はチョムだけだ。しかし、遠くに未来の逞しき漢になるかもしれない孫が走っている。だが、彼らはまだまだ「泥団子期」だ。


笑顔の謎

2015-06-05 | 暮らし

ベットがひとつなくなったので、当然のことながら寝室が広くなった。朝起きたら、朝陽だけが目に入るレイアウトにした。

夜は、鏡台の横にしつらえた、殿コーナーにおやすみをいう。笑っている遺影の下に、小さな骨壺と、メガネと少しの遺品。その中に〇ちゃんからもらったDVDを入れた。温泉の時の殿の笑顔が収録されている。

しかし、これは残念ながら家族には見せられない。わたしが身振り手振りで話していて、われながらあきれる。殿の笑顔は呆れた笑顔かも。口の悪い友達が言った。「それだけしゃべれば、旦那さん、ストレス溜まるやろ。」と、言われた意味が客観的に観て分かった。反論の余地がない。汗が出る。

しかし、殿はいつもわたしといるのが楽しいと言っていた。いや、そう言わなくては妻の機嫌が悪くなるので、怯えていたのか。そういえば、「わしが、だんなで喜べ。」とも言われたな。「喜んでるんです。とっても感謝してますわ。」と、答えていた。それは正しい。

しかし、「つんどく」という通販生活で買った積読用の本棚には殿が終盤に読んだものや、読みかけの本がある。どうしたものか。まあ、すべてはゆっくりと決断しよう。

わたしの本など数冊しかない。わたしは、会社で図書部をしていて、殆ど会社で買って読んで、会社の図書室で事足りたし、会社を辞めたら市立図書館で事足りる。殿のように、読書家ではなかった。10分の1も読んでいない。いや、100分の1も読んでいない。

さて、謎の笑顔は苦渋の笑顔か、幸せの笑顔か、仏様のような慈愛に満ちた微笑みか。殿よ、あなたが一生かけて集めたものを、わたしは一生かけて手離していかなくてはならないのだよ。お蔭で、物欲がなくなってしまい、購入意欲がめちゃ減退気味だ。