ほんとうに困った親子だ。
爺さんは「わしが死んだら、隣より少し大きめの墓を建ててくれ。」と言っていた。それに対して、息子は「気になるんなら、自分で建てればいいやろ。」と、言う。爺「自分で建てたら、後の者が粗末に扱うやろ。」と言った。
結局、嫁が建てるのである。そして、嫁と姑が入ったらこの墓は誰も入らないのである。以上4名。
ここが終着かいな。と、なんだか変な気持ちだが、墓は生きている人の心の拠り所なのかもしれない。確かに、残ったものの仕事である。
いろいろな手続きをし、49日の法要をし、墓を建てるという宗教的儀式も、昔からの知恵なのだろう。ひとつひとつ済ませていくと、気持ちも落ち着いてくるようだ。
ついでに言うなら、葬儀も「終了」は、良くない。通夜と葬儀で終わらせないと、だらだらと何日も弔問の方々がみえて、うちを空けられないのだ。2週間くらいは、誰かが家にいるようにした。
さて、唯一の男はチョムだけだ。しかし、遠くに未来の逞しき漢になるかもしれない孫が走っている。だが、彼らはまだまだ「泥団子期」だ。