まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

京都中央審査

2016-05-05 | 弓道

全国の弓道人が、連休に京都のみやこめっせで一堂に会するという、かくも盛大なビッグイベントである昇段、昇格審査。4年ぶりに受けた。

始まる前に、自販機でお茶を買ったら、「おめでとうございます。」と、自販機がしゃべった。一瞬意味が分からなかったが、どうも早くもう一本好きなものを押しなさいといっている様子だ。急いで麦茶を選んだ。お茶が2本出た。ちなみに、DyDoだった。しかし、ここで不吉な予感がした。良いことは続かない。なぜ、ここでそくってしまったのか。

殿と友達は、毎年京都で会うことを楽しみにしていた。まさか、同じ年に亡くなるとは思っていなかっただろう。そして、お互いに亡くなったことを知らずに逝ったのだ。今年は、ふたりが写っている写真を持って行った。こういうものは、そっと忍ばせるべきだが、つい友達に見せてしまった。これでは、効用が薄れるのではないか。いや、この写真は防虫剤ではない。自分の気慰めである。殿は言った。「自分の技量で合格しなきゃいかん。神頼みをするな・・・」と。

たぶん、これからも、一緒に持って行くだろう合格の日まで。しかし、いつになるのやら、もしかして写真はボロボロになるのではないか。

実は、写真の裏に書いた言葉がある。京都に発つ前に稽古のメモが出てきた。ずっと前のメモですっかり忘れていた。忘れていたということは、まったくやっていなかったということだ。「どう中てるかではなく、どう引くか。」「できるかできないかではなく、やるかやらないか。」「矢に気持ちをのせる。」この3つを書き写した。これを念頭におくことに決めたのだ。決めたからと言って、今すぐそれを発揮できる訳がない。これからの稽古の指針にすることにした。

今日審査に不合格だったということは、不合格の終わりである。始まりはこれからだ。「お前は、相変わらず能天気やなあ。」肩のところで、誰かが笑った。