娘たちと京都へ出かけた。娘家族は下の子が2歳になるので、初旅行ということで、わたしの弓道の審査に合わせて京都へ行くことになった。婿殿の運転で行ったので弓や着物を持っている身はおお助かりだった。
しかし、5日の審査のために4日の日だけの宿泊をいつもの聞法会館で予約をとっていたが、3日は取っていなかったので、娘に任せたらどこも連休はいっぱいで3月頃から探していたが、結局別々のホテルになった。しかし、3日の夜は埼玉の弓友と会う約束をしていたので、もともと別行動となったので、ホテルへ送ってもらってから節子さんに連絡する。わたしが、節子さんのホテルへタクシーで行き、彼女は夜の食事の場所が毎年決まっているとかで、そこからご一緒するという手はずである。
「四条のホテルです。」と、メールするとびっくり。同じホテルだった。おまけに弓友や知り合いの先生も同じでびっくり。京都のあちこちで弓を持った宿泊客がいるが、まさか同じになるとは。縁があるというもの。細い糸でつながっているねと,節子さんはおっしゃった。節子さんとは20年前、名古屋の審査で知り合った。昼食のレストランで混んでいて相席したのがきっかけで、その時、ふたりとも一次審査を通過し、面接が初めてという節子さんに面接試験の予想問題を教えたことがあとで非常に喜んでもらえた。節子さんは見事合格したのだ。わたしは、その後も審査の旅は続いた。
さて、支度を待っている間、O君がその日の「全日本弓道大会」で、5位になったという知らせを聞いた。石川の仲間は大喜びだ。
節子さんと、女子部で招聘したI先生が友達だったということも驚きで、名古屋の優子ちゃんも20年前の審査で知り合って、東京の審査の時に節子さんと優子ちゃんと3人で食事をしたこともあったが、わたしは殿がいつも一緒だったので、京都での食事は初めてだった。皮肉なもので、殿がいなくなって女子の人たちと縁が広がっていくことを感じた。夫婦でいると声をかけにくいのである。
節子さんも優子ちゃんも七段を翌日受けるので、早々にお開きとなった。わたしは5日の教士の審査まで日があいているので、明日は娘たちと行動を共にする。