子ども達は聞く「先生、何人家族?」「ふたり」「旦那さんと?」「ううん、おばあちゃんと。」「先生のおかあさん?」「だんなさんのおかあさん。」、ここで子供は質問を終える。大人はここから「えっーー大変やねえ。いくつ?」と、話は広がるが、幸い義母さんは元気で畑仕事をしているので、わたしは昼と夜のご飯を作って一緒に食べるだけで、何とか楽しくやっている。
どうして、一緒にいられるかというと、お互いにとても大切な人を亡くしているからだ。何も言わなくても、その悲しみは共通のものだ。元気で畑へ行っているので、わたしより体力があり、頭もしっかりしている。
先日、先輩のお母さまが亡くなられたので、通夜へ行くため孫たちに「ばぁばは、今からお通夜へ行くから、お母さん帰るまでふたりで待っとるんやよ。」と、言うと、下のkenが「じいじのお通夜?」と、とぼけたことをいうと、すかさずお兄ちゃんが「じぃじのわけねーやろ。」と、頭を押さえていた。どうも、子どもの頭は、楽しいことと友達と学校と全部がまだら模様のように混ざっているようだ。これが年寄りだと「まだらぼけ」と、言いうのだろうが、成長過程のまだらは「長い目でみてあげましょう。」と、なる。
しかし、わたしの頭の中もあれやこれやと、朝起きがけにまだらになっていることがある。夏休みが終わったのに、「朝の出勤のシフトは?」と、一瞬考える。父の病院、自分の歯医者、何時だっけ・・と。