最近、年配の人との会話が多くなってきた。
介護施設で働きだした訳ではなく、自身が高齢になってきたと気付くのに何年もかかったのだ。
年寄りの博識家は、何でもない会話に必ず何らかの結論を出そうとする。
あるいは、訳知り顔にたくさんの知識をひけらかす。
その中に、私が前に話したことを、重大な情報のように語る。
それって、私が前に言ったことだけど・・と、心に思いつつ、自分も同様のことをしているのでは?と、人のふり見て・・なのである。
地震以後、日常という言葉が妙に心に沁みる。
殿がいなくなって、日常の何でもない会話がなくなった。
暗がりで扉にぶつかった・・とか、階段をひとつ踏み外したとか、瞬間に報告したいことで、時が経つとどうでもいいことを、家族につぶやくという、そんなささいな日常がなくなった。
「寒いね」と、言ったら「寒いね」と、言うだけの殿が懐かしい。
それでも、仕事へ行き、普通にご飯を食べて寝ることが出来れば御の字だ。
何かしても、継続して力になることができないことがもどかしい。
水がないことはどんなに大変なことか。
急に家族が奪われることの辛さは計り知れない。
ふかふかの布団で寝ることの幸せ。
暖かい部屋で、温かい食べ物。
ささいな日常の憂さがあっても、殿の声が聞こえなくても、何の不満があろうかと思う。