日経平均株価が下がって、この後、株の行方はどうなるのだろう。
さて、お金の話をがつがつするのは品がない。また、「金がない。金がない。」と、言う男の人はどうかなと思う。殿は、飲みに行くと必ず後輩にお金をポンと出した。お金がないというのは男の沽券にかかわると思っていたようだ。寄付だって、ある程度のお金を出し渋るという事はなかった。わたしたち夫婦は、互いに父が次男坊で、若い頃大病をしていて、決して裕福ではない暮らしの中で育った。同じような環境に育って、贅沢もせず、コツコツと働いてきたのである。
お金がなくても、金の使いっぷりがいいというのはかっこいいと思うのだ。ない時は、なるべく出かけないで静かにしているしかない。
しかし、そんなことより、公私の金の区別がつかない人が一番悪い。毎月、会社の金を何千円かを懐に入れていた人がいたそうだ。それに比べて、ゴーンは桁違いだが、低額でも高額でも、わからないだろうとわたくしするのは、人間としての品位がないと思う。ケリー被告は「一切やっていません」と、言っているが、本当はどうなんだろう。
ゴーン容疑者も公私の区別がつかなくなったのだろう。
それなら、「お金がない」と、素直に言う人はとても正直で可愛いのではないか。お金があるのにないという人は、ケチなのだろうか。また、お金がないのにあるというのは、プライドが高いのか。その辺はどうでもいいことなのだ。公私の区別は当然だが、自分のお金も品性のあるきれいな使い方をしたい。
お布施は別格ですね。
本人の気持ちなので、競り合ったり値切ったりするものではないですね。
それでも、この頃は、商業的になりお布施の相場を知りたいですね。
そこには、恥をかかないようにという気持ちはありますね。
庶民の悩みは善良でもあります。
少なくとも、巻き上げようとはどちらも思っていないようですから。
名古屋であった法事に行った際、やはり「都会」だからか滅多に会わない親類同士ということもあるからか、「稲沢市」からきたという一人のお爺さんが施主に「何円お布施出した?」と聞き、「自分は曹洞宗だから50万出せと言われたが30万に値切った!」と自慢。その法事は浄土真宗だから一般的にはまあそれほど出さないのが普通だが、施主(老婆)は「近所の人の助言でね!お花代含めて15万よ!」と自慢。周囲は稲沢老人以外は「えそんなに出したの」という表情。この「マウンティング合戦」にげんなりしました。名古屋ってこういうシーン見かけること多いんですよね…。