まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

税金について

2015-06-11 | 暮らし

今まではぼおっとしていて考えなかったが、税金や金利の事が気になるようになってきた。収入がないからだ。

預金は普通預金も定期預金も殆ど変らない。0.025%や0.03%で利息はないも同然。5年据え置きで0.04%とか。その利息に税金がかかる。それではと、保険会社の個人年金にすると5年先、10年先の話となる。それも大事だ。

株や投資はリスクがある。元本割れしない商品もあるが。証券会社の人と直接話せるのは、情報や自分の意向を伝えられてよいが、証券会社も最近は音声ガイドでいくつも数字を押して、自分の口座番号を打ち込んで、ようやくつながったと思ったら「ただ今大変込み合っています。」と、待たされて、その間に宅急便が来て、一旦切って、またかけ直すと精力を使い果たしたようになる。結局、直接人の顔を見る方が安心するので、まとめることにした。歳をとったのだ。ネットの株は動向を見るので、そのままにしておいたが。

たった2100円の配当金に、所得税が15.315%。住民税5.00%引かれる。貰える金額はいくらでしょう。321円と105円を引いて1674円。小学生の引き算だ。しかし、どうして住民税が取られるんだろう。お金が働いたのか。この配当金を郵便局でもらうために、車で行って1時間かかって、交通費と人件費がかかるとすれば、配当金をもらわないで家にじっとしている方がよいのである。株も安定していれば配当金を振り込みにすればよいのだが。

消費税の事も、年金のことも政治家のお金のある人が考えるので、小市民はつらいよね。身体も小さいので、ほんとに小市民って誰が言ったのかうまいこというなあと思う。ついでに、美小市民というのも入れておこう。(美しくてか弱くて折れそうな人で、働くことが出来ない良い家柄の夫人のこと。)しかし、微少市民と思われそうだ。めちゃくちゃ、ちっちゃいではないか。こんなせこいお金の話などしたくなかった。やんごとなき育ちの良いわたしとしたことが。


日々の仕事

2015-06-10 | 暮らし

家事全般。買い物、銀行、庭木の手入れ。そして、午後には学童へ行く。子どもたちが待っていてくれたり、「先生、宿題みてーー。」と、言われたりすると嬉しくなる。新米なので巡回していると、ひとりの生徒が「先生、今度いつ来てくれる?」と、聞いてくれて嬉しかった。始めは珍しいからかもしれないが、第一印象で×の時もあるし。

子どもの頃、どうして女の人ばかり、料理や掃除、洗濯と家事をしながら働かなくてはならないのかと不満に思った。結婚してからは、それに育児が加わって、男女には差別があり、理不尽に思った。確かに大変な時期もあったが、みんなの協力もあって乗り切れたのだ。今、自分がその立場になって思う。そして、家事や仕事で身体を動かすことは、心が救われるのだということを最近実感する。忙しすぎるのも困るが、やることがあるということはありがたい。

しかし、最近は捨てる仕事が多い。毎日何か捨てている。人からもらった物は捨てられないので困っていたが、それも賞味期限があるのだと思えるようになった。子供の写真も数枚に絞ろう。もう孫が可愛いのである。少しずつ整理することは、未来が入る空間を作る事でもあるような気がする。

物に執着しない。持ちすぎない。とはいえ、邪魔にならないものはお金だと思うが、これも持ちすぎると問題のもとなので、暮らしに困らなければ良いとい思うこと。

 


バーベキュー

2015-06-08 | 弓道

日曜日に弓道仲間でバーベキューをした。河川愛護で朝から町内の草刈りに出かけた後、急いでシャワーをして、ノンアルコールビールと氷を買って、自分の体ほどあるクーラーボックスに入れて出向いた。

4月に旦那さんを亡くしたT先輩を誘った。「未亡人やからねぇ。」と、外出を控えているらしい。そろそろ、いいんじゃないの。というか、節度ある明るい未亡人。

先輩がくれた「獅子肉」。今では「ジビエ」などと重宝される。キャベツのマヨネーズ炒めがまた美味。

「うーーん。美味しい。ごめんね、父ちゃん、楽しくて。」と、言ったら、後輩が「あやまらんでも、いいんじゃないですか。」もっともである。しかし、はしゃいでいては不謹慎な気がするので、ついつい消極的になる。しかし、はたから見たら普通に見えるかも。消極的の欠片もないと言われそうだ。消極的でないといえば、前日の市民体育大会で、今年の県民体育大会の選手が発表され、末席を汚すことになった。恐ろしや。しかし、楽しみ。

毎年、とれとれの魚の差し入れがあり、今年もアジとフクラギ、カワハギの刺身が並ぶ。トビ魚は味噌汁にぶつぶつに切ってほうりこむ。出汁が旨くて、みんなお代わりをしてくれた。魚以外は何も入れないのに、やはりトビ魚は「あご出汁」とかいうので、出汁が良いのだろうか。九条ネギたっぷりの、味噌だけの味付けで空の下の食事は格別ですなぁ。


お墓を建てる

2015-06-05 | 暮らし

ほんとうに困った親子だ。

爺さんは「わしが死んだら、隣より少し大きめの墓を建ててくれ。」と言っていた。それに対して、息子は「気になるんなら、自分で建てればいいやろ。」と、言う。爺「自分で建てたら、後の者が粗末に扱うやろ。」と言った。

結局、嫁が建てるのである。そして、嫁と姑が入ったらこの墓は誰も入らないのである。以上4名。

ここが終着かいな。と、なんだか変な気持ちだが、墓は生きている人の心の拠り所なのかもしれない。確かに、残ったものの仕事である。

いろいろな手続きをし、49日の法要をし、墓を建てるという宗教的儀式も、昔からの知恵なのだろう。ひとつひとつ済ませていくと、気持ちも落ち着いてくるようだ。

ついでに言うなら、葬儀も「終了」は、良くない。通夜と葬儀で終わらせないと、だらだらと何日も弔問の方々がみえて、うちを空けられないのだ。2週間くらいは、誰かが家にいるようにした。

さて、唯一の男はチョムだけだ。しかし、遠くに未来の逞しき漢になるかもしれない孫が走っている。だが、彼らはまだまだ「泥団子期」だ。


笑顔の謎

2015-06-05 | 暮らし

ベットがひとつなくなったので、当然のことながら寝室が広くなった。朝起きたら、朝陽だけが目に入るレイアウトにした。

夜は、鏡台の横にしつらえた、殿コーナーにおやすみをいう。笑っている遺影の下に、小さな骨壺と、メガネと少しの遺品。その中に〇ちゃんからもらったDVDを入れた。温泉の時の殿の笑顔が収録されている。

しかし、これは残念ながら家族には見せられない。わたしが身振り手振りで話していて、われながらあきれる。殿の笑顔は呆れた笑顔かも。口の悪い友達が言った。「それだけしゃべれば、旦那さん、ストレス溜まるやろ。」と、言われた意味が客観的に観て分かった。反論の余地がない。汗が出る。

しかし、殿はいつもわたしといるのが楽しいと言っていた。いや、そう言わなくては妻の機嫌が悪くなるので、怯えていたのか。そういえば、「わしが、だんなで喜べ。」とも言われたな。「喜んでるんです。とっても感謝してますわ。」と、答えていた。それは正しい。

しかし、「つんどく」という通販生活で買った積読用の本棚には殿が終盤に読んだものや、読みかけの本がある。どうしたものか。まあ、すべてはゆっくりと決断しよう。

わたしの本など数冊しかない。わたしは、会社で図書部をしていて、殆ど会社で買って読んで、会社の図書室で事足りたし、会社を辞めたら市立図書館で事足りる。殿のように、読書家ではなかった。10分の1も読んでいない。いや、100分の1も読んでいない。

さて、謎の笑顔は苦渋の笑顔か、幸せの笑顔か、仏様のような慈愛に満ちた微笑みか。殿よ、あなたが一生かけて集めたものを、わたしは一生かけて手離していかなくてはならないのだよ。お蔭で、物欲がなくなってしまい、購入意欲がめちゃ減退気味だ。


草刈り

2015-06-04 | 暮らし

親からもらった土地の草が伸びてきた。

除草剤を買ったのに、散布するタイミングと、要領が分からずにいたら、草はヤバい状態になってきた。

除草剤散布は、専用のポンプが必要で、ジョウロで撒くより、霧状になって6倍ほど撒けるという。しかし、そのポンプは、高いもので5万ほどするらしい。

100坪を売りに出したが売れもせず、今年もシルバーに頼んで草刈りをお願いした。2万円かかる。

誰か刈ってくれないかなあ。いや、誰か買ってくれないかなあ。お安くします。


高いラジオ

2015-06-03 | 暮らし

父の入院は長くなっている。もしかしたら、このまま戻らないつもりか。食欲はあり、口も達者だが、足が不自由なので帰れない。母が大変だからだ。

読書好きの父は、本もテレビまでも観なくなった。90歳にならなくては、90歳の気持ちは分からないが、日々寂しさが増していく気はうかがえる。

せめて、ラジオを聞かないかと問うと、聞きたいというので、量販店で一番操作しやすい物を買った。大部屋なので、他の人の迷惑にならないようイヤホンも買った。

耳に入れるのはいまいちだろうと、ヘッドホンにしたら、ことのほか喜んでくれた。しかし、病室は感度が悪い。NHKしかまともに聞こえない。それでも、喜んでいたので愛しい。

自宅で、のびのびと過ごさせてあげたい。しかし、わたしが実家で暮らすわけにもいかないし、時折の外泊を手伝ってあげたい。しかし、自分ちに帰って外泊って?


ワインとチーズ

2015-06-02 | 料理

冷蔵庫の野菜庫には、なぜかいつもワインが入っている。もちろん、自分が入れるのだが、買い物のついでに、ふと買ってしまう。いつから食品売り場に酒類が当然のように並ぶようになったのだっけ。酒屋が町から消えたのはいつのころからだろう。

缶ビールを飲まなくなって久しい。350miの缶が飲みきれない。250mlはちょうど良いのだが、それを買うより、ちびちびと飲めるワインが良いのである。

わたしは、家族の誰よりもワインのコルクを開けるのがうまいが、最近はコルクではなく、固いゴムっぽいもので、なんだか情緒がないがコルクのように失敗してこなごなになることはないので良いかもしれない。

手ごろな価格で、ワインが並んでいる。マッサンの朝ドラの影響でウイスキーになるかと思ったが、缶酎ハイを1度買っただけだった。「誰やろねー。わたしの買い物かごにワインとチーズを入れるのは。」と、いうと「おまえなぁ。」と、笑って答えるであろう殿の声が聞こえる気がする。


Bの鉛筆

2015-06-01 | 暮らし

茶碗に絵を描くための下書き用に、4Bの鉛筆を探していたら、6Bまであることを知って、すごいと思った。わたしの小さいころは、2Bが最高だったと思う。

ところが、先日TVで、鉛筆工場の人が「10B」の鉛筆を開発したという。

子どもたちの筆箱の中を覗くと、Bばかりだ。HBはどこへ?なんでも、子供たちの手首の力が弱っているとのこと。なので、うすい鉛筆では字が見えないということだ。でも、わたしの知りえる子供たちは、けっこうな力で字を書いている。そして、手をまっくろにしている。

「わ」と、「れ」を、うまく書けない子、鏡文字になってしまう子を見ながら、いつの間にか字を覚えて大人になる自分たちを思う。字は書けるようになっても、気持ちを言い表すことが難しいと思う。何かを知ったような気になって、何も知らないということを知る。

何も考えず、手を真っ黒にして字を書いていた頃のように、何かに夢中になって時を忘れたいと思う。