あまりの天気の良さに、先輩に電話をして遠的をしようと誘った。
今度の遠的大会運営当番なので、これを機会に道場仲間と1年ぶりに引くので的付けをしようと言っていたので、この天気を逃したらもう日はないかもと思ったのだ。
室内弓道場と、遠的場があるというのは恵まれている。こんなに恵まれているのに、会員は減る一方だ。若者は忙しい。
鍵をもらって開けに行くと除雪機置き場になっていたので、おぉ!っと思ったが、3人くらいは立てるので支障はなかった。
的を準備するために引きずって持って行った。わたしの身体が殆ど隠れてしまう。線路沿いの遠的射場なので、電車から見ると的が歩いていると思われそうだ。的から頭だけしか出ない。
人が生きていくには、絶望的な状況でも楽観的に見ることが出来る者は逞しい。わたしはどうも逞しいらしい。
昔から遠的は苦手で、弓が弱いせいにしている。実力がなく、稽古不足の場合、自分に問題があることを棚にあげて、弓や矢のせいにしてしまう。おまけに、前に抜けるので「風かなあ・・」と、言うと「風なんか吹いとらんぞー」と、言われる。60m先の的が遠くに見える。ついには「的の場所、遠くないですか?」「大丈夫、この前測った・・」そうか・・やはり絶望的である。今度の遠的大会はお手伝いに徹することになりそうだ。
殿は、「こんな大きい的を外す者の気がしれん・・」と、笑っていたことがあった。何本か引くと、たいがい感覚に分かってくるのだろう。近的より楽しいのだそうだ。確かに開放感はあるのだが、中らないと開放感はなく、疲れだけが溜まる。腰切りの方が好きなのだが、最近は直付けの方が多い。押手拳は的の上にあるのだから空を狙っている感じだ。それでも届かない。やっと届いたころには、疲れてきて、またまたモグラ探し状態だ。結局、20本引いて2本しか中らなかった。放物線の勉強をしなくてはならない。思い通りにならないものだ。
先輩はほんの少し押手を上げて、ばんばん中てていた。