このコヒマ・ウォー・セメタリーのあるギャリソン・ヒルの戦いは、
日本側の呼称ではコヒマ三叉路高地の戦いと言われている。
丘の下側は今でもこのような三叉路になっている。
ここを登って来たのか・・・・と。
丘の墓地の下側にはこの碑がある。
これはこの地で命を落とした兵士だけの言葉ではない。
私たちは戦争を忘れてはならないのだ。
今、私たちがこうやって生きているのは、過去があったからである。
戦争を知らない私たちだけど決して忘れてはならないと思う。
三叉路の右手には「I LOVE KOHIMA」の文字が・・・。
三叉路のボリス・ボックスには婦人警官が立ち武装した軍隊が通りかかる。
そんな日常がある。
余談であるが・・・
わが父は昭和2年(1927年)3月の生まれである。
第二次世界大戦の終戦間際1945年3月に18歳となり徴兵され、
終戦までの5ヶ月弱、戦争に行った。
既に敗戦濃厚であったろう時期に18歳の少年兵は戦う術も知らず、
通信兵となったと聞いている。詳しくは聞いていないが、
戦闘には参加していなかったので悲惨さは感じなかった。
父はその軍隊で煙草を覚え、吸わない人の頭髪をバリカンで刈っては、
引き換えに煙草をもらっていたと言っていた。
そして父は死ぬまで煙草を離さなかった。