ナガランド州の州都コヒマの南10Kmにあるキサマ村にある博物館である。
入場料は10Rs(約16円)、
携帯電話やカメラの撮影は別途50Rs(約80円)。
コヒマとインファールでの戦いについて資料や写真、
模型や当時の兵器や遺品などが展示されている。
まずインファール作戦での概要を博物館に展示してあった写真を使って説明する。
第二次世界大戦のビルマ戦線において1944年3月から7月まで行われた作戦で、
インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であったインファールを攻め、
中国への物資の補給ルートを遮断する事が目的であった。
マニプル州のインファールにあるカングラ・フォートに居住し指揮をとった、
イギリス軍の司令官スリム中将。
結果は失敗に終わり参加した兵士の大部分が死亡してしまったため、
史上最悪の作戦と呼ばれている。
その作戦を強行に押し進めた牟田口中将は愚将と呼ばれているが、
確かに当初から無謀な作戦を推し進め結果失敗してしまったので、
そう呼ばれてても仕方ないのかもしれない。
しかし逆に成功していた可能性もあったと思う。
その牟田口中将を支援するためにコヒマへ進軍したのが佐藤中将である。
しかし佐藤中将はコヒマまで進軍したにも関わらず、
物資の補給がないと言う理由で命令に従わず勝手に撤退してしまったのである。
これも結果論であるが撤退せずその先のディマプルへ進軍していれば、
そこにあったイギリス軍の豊富な物資を手に入れ、
インファールで戦う味方に合流していれば作戦が成功していた公算が高い。
現に敵方のスリム中将もそう言っている。
この史上最悪の作戦を行ってしまった原因は、
ガンディーと並びインド独立の父と呼ばれている、
ネタジ・スバス・チャンドラ・ボーズにあると私は思う。
ボースが日本に渡り東條英機首相にインドの独立の為の協力を直訴した事で、
ビルマ方面軍司令官の河辺中将の心をも動かした。
それにより無謀と解っていたインファール作戦を行ってしまったと。
マニプル州とナガランド州の地図と進軍したルート。