2021/03/06 11:15プレジデントオンライン
闘い続けたオペ室にて - 撮影=半田広徳
(プレジデントオンライン)
PRESIDENT Online 掲載
日本の65歳以上の高齢者数は3617万人に達した。総人口に占める割合は28.7%で、過去最高の更新が続いている(総務省「統計からみた我が国の高齢者」2020年9月)。「定年後」の長い時間をどう生きるかは多くの人にとって切実な問題だ。そんななか「無定年」の生き方を実現しようとしているのが、「上皇陛下の執刀医」として知られ、その手技から「神の手」とも評される天野篤医師だ。なぜそう考えるに至ったか、具体的に何をしようとしているのか、教授定年を迎えるにあたり近著『天職』に綴った率直な心情を特別公開する──。(第1回/全2回)
※本稿は、天野篤『天職』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「神の手」と称された医師も一人の組織人
振り返れば、ずいぶん長い間、心臓外科医として働いてきました。
私は2002年から勤務してきた順天堂大学医学部の「一教授、一外科医」の立場を、2021年3月を機に区切りをつけることとしました。昨年秋、65歳となったことで、2021年3月末に大学医学部の心臓外科学講座主任教授としての定年を迎えるのです。
当面、学校法人順天堂の理事としての職位や、特任教授という肩書は残るのですが、これで心臓外科医としての私の医者人生が終わるということではありません。むしろ逆で、主任教授として大学運営にかかわっていた時間などが減ることもあり、今後はよりいっそう診療と手術にあてる時間が増えるとさえ思っています。
今後も手術ができる限り、現役の心臓外科医としてメスを持つことにこだわろうと思っています。
そのいっぽうで、かつては正しいと信じて突っ走っていたことも、時の経過のなかでは異なる思いも感じ始めています。一心臓外科医として最後の日まで前進し続けるためにも、自身の歩みをあらためて問い、追い求める医師の姿を整理してみようと、このたび『天職』(プレジデント社)を著(あらわ)しました。
■「三浪」からの人生リベンジ
私が医師になったのは27歳のときです。三浪してようやく入ることができた日本大学医学部を卒業し、医師国家試験に合格したのですが、ようするに人よりも3年遅れをとったスタートでした。
思えば、私の医師としての歩みは「遅れた3年を取り戻そう」と、がむしゃらに突き進んできた日々といっても過言ではありません。
以来、心臓病の患者さんを9000例近く手術してきたと思います。「思います」というのは、正確に手術数をカウントしていたのは6000例の頃までだったからです。
「心臓外科医は数だよ。どれだけ手術をやるかで腕が決まる」
そんな研修医時代の先輩医師のアドバイスもあり、数を意識していた時期もありました。循環器内科の先生たちに患者さんを回してほしいと、「営業」のようなお願いをして一日に3回手術することもありましたが、この10年というもの、私の気持ちには少しずつ変化が表れてきたのです。
それは、「その手術は本当に患者さんのための手術だったのか──」という自問自答です。患者さんの安全を脅(おびや)かすような手術をしたことは一度もありませんが、心のどこかで、手術数を自慢げに披露(ひろう)していたことも事実だからです。