2020年の緊急事態宣言発令時、学校が休みになった子供たちを公園で遊ばせる親子連れの姿が多く見られた。ところがしばらくすると、多くの公園から子供たちの笑い声が消え、いまもそのままだ。各地の児童公園から子供たちの姿が消えたのはなぜなのか、ライターの森鷹久氏がレポートする。

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「コロナの影響でどこにも行けず、せめて近所で、密にならないよう遊ばせてあげたいと思っていたのですが。あの張り紙が張り出されてからは、ここで遊ぶこと自体、悪いことであるような気がしています。子供を遊ばせる方も本当に減りました」

 千葉県某市在住の牧田亜由美さん(仮名・30代)は、4才と2才の子を持つ専業主婦。保育園終わりの平日夕方、土日や祝日に訪れていた家から最寄りの「児童公園」に、「警告」と赤字で書かれた仰々しい張り紙が掲示されたのは、昨年の秋頃のこと。その警告文には、子供の声がうるさく近隣住人が迷惑している、さらに周辺にはお年寄りがたくさん住んでいて、公園で子供が走り回ったりボール遊びをしては、老人が怪我をする可能性もあるので禁止、そんな文言が「自治会」の名前と共に明示されていたのである。

「公園は市の運営で、張り紙とは別に、公園の使い方について市が設置した看板があります。そこには、深夜や早朝にうるさくしたり、硬いボールを使った球技、ゴルフ、花火などが禁止行為と書かれていますが、自治会警告文はそれ以上に公園での過ごし方を規制するもの。自治会に聞いても『そういう声があるから』というばかりで、市も『自治会さんごとに考え方があるから』と及び腰。一体、公園は誰の物なのか」(牧田さん)

 牧田さんによると、張り紙には「日中であっても、お年寄りに迷惑がかかるから大声を出してはならない」とか「お年寄りに危険が及ぶため、走り回ったり、ボール遊びをしてはならない」などと記してあったという。もちろん、大きな奇声をあげたり、ボールをビュンビュン投げる行為が、迷惑だったり危険だということは理解できた。しかし、お年寄りのために子供は我慢せよ、控えよ、という「警告」はいくらなんでもやりすぎで、まるで「若者は年寄りの言うことを聞け」と強制されているようにも感じている。

 張り紙がされて間も無く、サッカーをしたり、携帯ゲーム機を持ち寄って楽しそうに騒ぐ子供達の姿が減り、代わりにお年寄りがベンチなどでくつろぐ姿が目立ち始めた。すると、親子連れで公園に行くことも、なんとなく後ろめたい気持ちになったと話す牧田さん。住まいから最寄りのいくつかの公園にいつの間にか同様の貼り紙がなされてしまい、気兼ねなく親子で遊べる公園がなくなった実情があるにも関わらず、どこに相談をしても、まるで取り合ってくれないと訴える。

「朝はラジオ体操、昼間は日光浴をする高齢者しかいません。夕方には人がいなくなって、夜はタバコを吸ったり酒を飲む若者に占拠され……。普通の利用者が減り、一気に公園周辺の治安が悪くなったような気がします」

 こう話すのは、神奈川県内在住の会社員・吉本誠さん(40代・仮名)。自宅でテレワーク中だという吉本さんは、部屋から見える公園から子供達の声が消え、環境がガラリと変わってしまったと振り返る。変わった原因というのが、やはり「自治会からの貼り紙」だった。

「コロナ禍以降、公園で遊ぶ子供達の数は確かに増えました。休みの日などは早朝から子供達の元気な声が聞こえ、騒々しく感じることはありましたが、クレームを入れる人がいるとは驚きでした。自治会名で張り出された『お願い』という紙には、子供達の声がうるさく、近隣に住む老人の健康被害が出ている、とまで書いてあったのですから」(吉本さん)

 貼り紙が出されたのは昨年のゴールデンウィーク以降。それを見て過敏に反応したのか、親子連れはもちろん、子供だけで遊ぶ姿もすっかり減り、代わりに増えたのは老人だ。

「園内での飲食、喫煙はダメなはずなのに、最近では、高齢者が弁当を持ってきて酒盛りまでしています。禁止されているペットの散歩もお構いなしで、園内に糞尿をさせて、後始末もしない。自治会の若いメンバーの一人が、違反をしている高齢者について声をあげたそうなんですが、高齢者が多い自治会では、高齢者の意見しか通らない。自治会なんて高齢者しかいませんからね」(吉本さん)

 調べたところ、筆者の住む地域でも同様の問題が勃発していた。取材をしてみると聞こえてくるのは、やはり「高齢者の意見しか通らない」という自治会内の動き、そして行政の対応である。

 行政からみると、まっさきに声をあげたのは高齢者で、自治会や老人クラブなどを通じて行政に最初に働きかけたのも高齢者だった。その後、公園で子供を自由に遊ばせたい、という若い子育て世代の声も無いわけではないが、単発的なもので、記録に残る文書など正式な形で申し入れをする人も滅多にいないから、対応すべき「市民の声」としては蓄積されない。そのため、行政が対応するのは高齢者からの要望になってしまっている、といった実情のようだ。筆者の住む自治体の公園管理担当者は、こちらの質問に声を潜めるように答える。

「公園だけでなく、自治体が管理する公民館、体育館、スポーツ施設でも高齢者に利用しやすいようにして欲しいという声を受け、対応しています。それは、行政が高齢者を優遇しているというわけではなく、要望があるから。若い世代は、不満に思ってはいても、しっかり声をあげようという人が少ない。結果として、若い世代の要望は『ないもの』と看做される」(自治体の公園管理担当者)

 高齢者人口が多いことが、そのまま影響しているような裏事情だが、都心の比較的大きな公園では、こうした問題は起きていない模様である。都心の大きな公園は、地元住民だけが利用するわけでなく、遠方からわざわざ訪れると言う人も多い。トラブルの多くは、少し外れた郊外、そして古い住宅街が壊され新しい街並みが作られたエリアなど、高齢世代と若い世代が同居する地域で起きており、地元住民の憩いの場としての公園をめぐり、ニューカマーの若い家族が越してきたことで発生しているような感覚すらある。 どちらが先に住んでいた、と言う議論にもなりかねないが、公園は当然、市民のもの。単純な多数決のような理屈で判断してよいことなのだろうかという疑問が残るが、行政の対応としてはこのやり方が一般的……というより、今の仕組では、これ以上の対応はなされないのだ。しかし、高齢者の方が知識も時間もあって、ずる賢いから若者が蔑ろにされている、と言い切れるわけでもない。

 自治会関係者も、何も「自分たちの言うことだけを通したい」わけではないと話すが、まず、こうした問題が起きているところでは、自治会や老人会といった地区のコミュニティに若者がいない傾向強く、新しい街で比較的若い家族が多くても、地域の会合、イベントに出てくることはほとんどない。呼びかけも行ってはいるが、回覧板を拒否するような若い家庭もある中で、若い世代とそれ以上のコミュニケーションが全く取れず、住民の総意は若者抜きの状態で決まっていく。

 人口の半分が高齢者になり、いま以上に多数派として幅を利かせるようになったら、自分たちが何を言っても無かったたことにされるのではないか。大袈裟ではなく、そう感じている若者が少なくない昨今ではあるが、そもそも若い世代が地域行政に参画しようという気持ちが希薄なことにも、一因はあるのかもしれない。選挙に行くのも高齢者ばかりと言われており、だからこそ高齢者に受ける政策を掲げた政治家ばかりが当選し、若者への処遇が雑になる。それこそ、自治会に参加したり選挙に行く高齢者からすると「来てもいないのに文句を言うな」と言いたくなるだろう。

「公園」をめぐる騒動も同様に、声をあげないと言われる人たちの要望が無視され、住みにくい環境があちこちで生まれている。この問題を「高齢者のせい」とするのか、自分たちの問題として捉え、若い世代自ら声を上げるような動きが出始めるのか。前述のように、数が多いほうが民意で正しい、という常識を変えてゆかねばならないときが来ているのだろう。』


高齢者も子供が公園で、遊ぶのがうるさいと思わず、家に引き困らないで天気の良い日は公園まで散歩し体操をしたりお天道様に当たらないとセロトニン不足で老人性鬱病や骨粗しょう症で家の中で骨折し、寝たきりになります。