珈琲を淹れる。・・・と言っても、
豆を挽くとか、フィルターは布製、
なんて凝った淹れ方ではない。
スーパーで買える大袋の中挽豆を
無着色の紙フィルターで。
それでも。
フィルターの豆は平らに均して、
まず豆を蒸らすためにお湯をひと回し。
それから、ある高さからできるだけ細く、
同一方向に湯を回す、程度の作法は行う。
昔いた劇団の、制作部の部屋が何故だか
ショーケンのドラマみたいに屋上にあり、
そのマンションの一階にあったカフェの
マリちゃんに教わった……淹れ方![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cups.gif)
なので珈琲を落とす時はマリちゃんを思い出す。
これは一例。
そして、人にはモノやコトから繋がり出てくる、
糸を巻きとるような記憶が其々にあるだろう。
公園でキャッチボールをする父子がいる。
僕も父とした経験はあるけれど、むしろ。
母の弟。
だから僕からすれば叔父さんにあたる
「ミッキ兄ちゃん」とのキャッチボールが浮かぶ。
小三の僕に対して、少しずつ距離を伸ばし、
球速も徐々に上げていった兄ちゃんが
「次のは、もっと速いぞ」と投じた一球・・・
バッティングは苦手ながら守備には自信があり、
その瞬間も「いけた」と思ってグラブを出した。
が![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0022.gif)
パコーンと軟球はおでこに直撃![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
何故だか、この画が今でも良く浮かぶ。
塩の効いたおにぎりから引き出されるのは、
小料理屋のカウンターの隅っこの椅子。
弟が生まれ、幼稚園のない日曜日、
土建屋だった父は現場があって、僕を同行した。
仕事中は車の中で絵本を読んだり、
公園での一人遊びで時間を潰したのだろう。
夕食。
ファミレスなんて便利な店はなく、
父の普段使いで一番健全な(?)飲食店が
きっとその小料理屋だったのだろう。
刺身も煮物も焼物も……五歳児には
ずいぶんと大人な食べ物で、かつ当時の僕は
好き嫌いがとてつもなく激しかったりもした。
川崎区のどこか、鋼管通あるいは渡田か。
店の名前も、女将さんの顔も覚えていない。
ただ、塩の効いたおにぎりだけが鮮明![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0238.gif)
珈琲のくだりのドラマは、1974~73年、
日本テレビ系で放送の『傷だらけの天使』のこと。
我々世代には、本編はもちろんタイトルバックも
強く印象的な萩原健一と水谷豊コンビが
住んでいた「エンジェルビル」の屋上。
調べると、昨年ビルが解体されたらしい。
奇しくもショーケンの逝った同じ年に・・・。
我が父も今はなく。
そうそう。
最近多くの人が口にする「人は二度死ぬ」。
永六輔の言葉や松田優作の金言と言われるが、
意味は「一度目は肉体が滅びた時、
二度目は皆から忘れられた時」というもの。
記憶の糸巻は、それと少しく繋がっているかしら。
豆を挽くとか、フィルターは布製、
なんて凝った淹れ方ではない。
スーパーで買える大袋の中挽豆を
無着色の紙フィルターで。
それでも。
フィルターの豆は平らに均して、
まず豆を蒸らすためにお湯をひと回し。
それから、ある高さからできるだけ細く、
同一方向に湯を回す、程度の作法は行う。
昔いた劇団の、制作部の部屋が何故だか
ショーケンのドラマみたいに屋上にあり、
そのマンションの一階にあったカフェの
マリちゃんに教わった……淹れ方
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cups.gif)
なので珈琲を落とす時はマリちゃんを思い出す。
これは一例。
そして、人にはモノやコトから繋がり出てくる、
糸を巻きとるような記憶が其々にあるだろう。
公園でキャッチボールをする父子がいる。
僕も父とした経験はあるけれど、むしろ。
母の弟。
だから僕からすれば叔父さんにあたる
「ミッキ兄ちゃん」とのキャッチボールが浮かぶ。
小三の僕に対して、少しずつ距離を伸ばし、
球速も徐々に上げていった兄ちゃんが
「次のは、もっと速いぞ」と投じた一球・・・
バッティングは苦手ながら守備には自信があり、
その瞬間も「いけた」と思ってグラブを出した。
が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0022.gif)
パコーンと軟球はおでこに直撃
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
何故だか、この画が今でも良く浮かぶ。
塩の効いたおにぎりから引き出されるのは、
小料理屋のカウンターの隅っこの椅子。
弟が生まれ、幼稚園のない日曜日、
土建屋だった父は現場があって、僕を同行した。
仕事中は車の中で絵本を読んだり、
公園での一人遊びで時間を潰したのだろう。
夕食。
ファミレスなんて便利な店はなく、
父の普段使いで一番健全な(?)飲食店が
きっとその小料理屋だったのだろう。
刺身も煮物も焼物も……五歳児には
ずいぶんと大人な食べ物で、かつ当時の僕は
好き嫌いがとてつもなく激しかったりもした。
川崎区のどこか、鋼管通あるいは渡田か。
店の名前も、女将さんの顔も覚えていない。
ただ、塩の効いたおにぎりだけが鮮明
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0238.gif)
珈琲のくだりのドラマは、1974~73年、
日本テレビ系で放送の『傷だらけの天使』のこと。
我々世代には、本編はもちろんタイトルバックも
強く印象的な萩原健一と水谷豊コンビが
住んでいた「エンジェルビル」の屋上。
調べると、昨年ビルが解体されたらしい。
奇しくもショーケンの逝った同じ年に・・・。
我が父も今はなく。
そうそう。
最近多くの人が口にする「人は二度死ぬ」。
永六輔の言葉や松田優作の金言と言われるが、
意味は「一度目は肉体が滅びた時、
二度目は皆から忘れられた時」というもの。
記憶の糸巻は、それと少しく繋がっているかしら。