昭和20年代から30年代前半、M男は、幼少期を北陸の山村で過した。太平洋戦争末期、戦禍を逃れ、東京から父親の郷里に自主疎開し、そのまま定住した家で育った。仮設住宅の如くの粗末な家で貧しい暮らしが続いていたが 母親や祖母が東京から持ち運んだ物の中に、当時の地元の人には、珍しがられたり、ある意味、やっかみの目で見られたりしたような物が結構有ったような気がしている。ほとんど記憶喪失しているが、例えば、大きなラッパの付いた手回し式の蓄音機と浪曲、童謡、歌謡曲等のレコード盤(SP盤)、五月人形、母親の白いブラウス(農村では、まだ和装が多く、PTAで目だっていた)、百人一首(かるた)や花かるた、家族合わせかるた、トランプ、スゴロク 等遊び小物。
その中のひとつ 「百人一首(かるた)」
M男の家では、毎年、正月になると、必ず、家族全員で、百人一首かるたとりをしていて、世間を知らない子供とて、どこの家でも、正月には百人一首かるたとりをするものと思い込んでいた位だったが、同級生の反応が無かったことを、未だに覚えている。
テレビも無い時代、火鉢と掘り炬燵だけの 茶の間、座敷、「百人一首かるたとり」は、手が悴むような冷え冷えした座敷の畳に字札を並べてすることになっていて、炬燵に潜り込んでいるM男や弟も、引っ張り出されたものだ。読み手は、毎度、父親。負けず嫌いの母親は子供に容赦せず取りまくり、祖母は ニコニコ眺める役だった。
特別、習うことも無しだったが、毎年、何回も何回もやっている内に、子供なりに何首かは覚えてしまい、得意な歌が出来たものだ。
M男が 取られて悔しがった歌は
「たごのうらゆ・・・・・」
「いにしえの・・・・・・」
「ほととぎす・・・・・・」
「あわじしま・・・・・・・」
程度だったような気がするが。
後年になって、かるたとりとしてでなく、改めて「百人一首」を顧みた時、もっともっと知りたくなったことも有ったが、それもなおざりになったままである。
ふっと、思い浮かんで、息子が学生時代に使っていたと思われる解説本が残っており、開いて見ているところだ。
「百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌だが、時代が変わっても 日本人の心情が呼び起こされるような気がする。
季節は、秋。
百人一首には、「秋の夕暮れの寂しさ」を詠んだ歌が多いという。今も昔も、秋は、日本人の心情を映す季節なのかも知れない。
秋の夜は長い。長くて長くて時間を持て余す。
読書の秋、芸術の秋、音楽鑑賞の秋等 とも言われる。
紅葉、夕暮れ等 深まり行く秋の風景からは、そこはかとない寂しさや人恋しさが呼び起こされる。
「百人一首」で「秋」を詠んだ歌を抽出してみた。
さびしさに 宿を立ち出てて ながむれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ
歌番号
70
作者
良暹法師(りょうぜんほうし)
歌意
あまりの寂しさに耐えかねて、
わが家を出てしみじみあたりを眺めてみると
どこもかしこも同じ寂しい秋の夕暮れであることよ。
「宿」とは 作者が住んでいた京都大原の草庵のこと。
因みに、「新古今和歌集」の中に、「三夕の歌」と呼ばれている、秋の夕暮れを詠んだ三首が有るという。今更ながら知り、目から鱗である。
さびしさは その色としも なかりけり
まき立つ山の 秋の夕暮れ
寂蓮法師
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮れ
西行法師
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ
藤原定家