たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

読めない書けない難漢字 No.31

2020年12月02日 21時43分34秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

時代小説等を読んでいると 今の時代、まるで目にしない物の名前や 使っていない言葉等が 漢字で書かれていたりして 作家の語彙力に敬服することが多い。
中には 今の時代、ひらがなやカタカナで通用している物の名前や言葉が 難漢字で書かれていることもあって、不勉強な爺さん、「へー!、そうだったんだ。」と 目から鱗になることも有る。
映画「男はつらいよ」の車寅次郎は 「フーテンの寅さん」で通っているが この「フーテン」、漢字で書けと言われると ??であるが、今日読み終わった「御家人斬九郎」の中には 漢字で書かれていた。今更になって 辞書等で確認してみた。


漢字

「瘋癲」

意味

・精神状態が異常なこと、及び、そういう人のこと、
・定職を持たず町中をぶらつくこと、または、そういう人のこと、


注釈

1967年頃、長髪、ラッパズボン、サングラス姿の若者達が、定職にも就かず、ブラブラ無気力に 新宿駅等に集まったことが有り、当時、彼等は 「瘋癲」をカタカナ表記して、「フーテン族」と呼ばれたことがあった。元々は アメリカの「ヒッピー族」に近いイメージで使われたようだ。
1968年には テレビドラマで「男はつらいよ」が、1969年には映画「男はつらいよ」が始まり、主人公車寅次郎の「生れも育ちも葛飾柴又・・・・フーテンの寅とはっします」がすっかり定着してしまったが 厳密に言うと 寅さんには 「的屋」という定職が有り、ブラブラ無気力な「瘋癲」(フーテン)ではないことになるという話がある。

拡大してみると

瘋癲

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柴田錬三郎著 「御家人斬九郎」

2020年12月02日 15時47分55秒 | 読書記

図書館から借りていた 柴田錬三郎著 「御家人斬九郎」(大活字本)を 読み終えた。

  


「大活字本(大活字版、大活字図書)」とは 弱視者(低視力者、高齢者等)にも読みやすいように、文字の大きさや行間を調節して 大きな活字で組み直した本のこと。当然 分冊になったり 値段も割高になるため、主に障害者や高齢者向けの施設や 公共の図書館等に所蔵されているようだ。老眼でも アナウンサーが原稿を読むような調子で ペラペラ、楽に読み進めることが出来る。

(ネットから拝借無料イラスト)


柴田錬三郎著 「御家人斬九郎」

目次
第1篇 片手業十話
    第1話 男ってぇ奴はこんなものさ
    第2話 二兎を追ったら二兎を獲るさ
    第3話 隻腕(かたて)でやるかたてわざだぜ
    第4話 柳生但馬守に見せてやりてぇ
    第5話 直参旗本の死にざまだぜ
    第6話 良人を殺した気持が判るぜ
    第7話 女の怨念はおそろしいやな
    第8話 寺で新仏を作ってやらぁ
    第9話 正義の味方にだってなるぜ、
    第10話 女の嫉妬はこうして斬るのさ
第2篇 箱根の山は越えにくいぜ
第3篇 あの世で金が使えるか
第4篇 美女は薄命だぜ
第5篇 座敷牢に謎があるぜ
第6篇 青い肌に謎があるぜ
解説 尾崎秀樹 

第1篇は 第1話~第10話までの10の短篇が収録されており、第2篇~第6篇は 第1篇の短篇よりは やや長い中篇になっている。

主人公は 徳川家一族の十八松平の内の大給(おぎゅう)松平家の末裔、名門でありながら、御家人の中でも最下級、30俵3人扶持の家の四男五女の末子に生まれた松平残九郎、長男、次男が死に、三男は養子に、姉達は家を出たため 家督を受け継いだが 貧乏御家人、本所割下水のぼろ家に老母と二人で暮らし、食べていくために副業(かたてわざ)として 並外れた剣技を生かし 表沙汰に出来ない罪人の介錯(かいしゃく)をしており 人からは 斬九郎と呼ばれている。
老母の麻佐女(あさじょ)は 79歳だが、矍鑠としており 並外れて食欲旺盛、極端な美食好み、小鼓の名手、気丈で、口達者、斬九郎の稼ぎが悪いと 薙刀で一撃を加える程の凄まじいキャラクター。斬九郎は 「くそ婆」と罵りながらも 母親のためにせっせと「首切り」に励むが その礼金は遊蕩に費やしてしまい 毎度母親とのいさかいが絶えることが無い。
この作品の面白さは 次々持ち込まれる副業(かたてわざ)・「首切り」の顛末、随所に有る斬九郎の凄まじい剣技にもあるが 斬九郎と老母麻佐女のからみあい、老母麻佐女のグルメ振り、やれきれなさを感じながらも そんな老母麻佐女と付き合っていく斬九郎、極端にユニークで、ユーモラスな二人のキャラクターの対照にあるのではないかと思う。
他の主な登場人物、斬九郎の亡父・喜佐衛門、北町奉行所市中取締色調掛与力・西尾伝三郎、柳橋の芸者・蔦吉(おつた)、岡っ引き・南無八幡の佐次・・、

通称「シバレン(柴錬)」と呼ばれている柴田錬三郎氏の代表作のひとつとされている作品、「御家人斬九郎」。 読書初心者の爺さん、やっとその気になって、読み終えた。
 

 

 

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心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花

2020年12月02日 10時45分06秒 | 懐かしい小倉百人一首

昨年、書棚に詰め込まれていた古い書籍、辞書等を大胆に整理処分したことが有ったが、その際に、多分、長男か次男かが学生時代に使っていたものに違いない、文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が目に止まった。パラパラと ページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、子供の頃、正月になると、必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなり、「今更、向学心?」なーんてものではなく、ブログネタに?、頭の体操に?等と思い込んでしまい、処分せず、以後座右の書にしてしまっている。「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がする。
今年も残すところ1ケ月、師走に入り、初冬から本格的な冬を迎える。「小倉百人一首」で、季節を詠んだ歌の中では 「冬」を詠んだ歌は非常に少なく、一般的には、6首のみとされているようだ。「雪」や「霜」、「白」等という文字が含まれている歌が多く、「冬」の印象的な風景が詠まれているという。今回、「冬」を詠んだ歌を取り上げてみることにした。

(ネットから拝借無料画像)


百人一首で 「冬」を詠んだ歌  その1

心あてに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花

出典
古今集(巻五)

歌番号
29

作者
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

歌意
もし手折るというのならば あてずっぽうに折ってみようか。
初霜が一面に降りて、
(白菊なのか霜なのか)
見分けがつかないように、人目をまどわせている白菊の花を。

注釈
古今集の枕詞に「白菊の花を詠める」と有り、
秋も終わり頃(初冬)の早朝、
白菊の咲く庭に初霜が降りた情景を詠んだ歌。
二句切れ、体言止め、倒置法により 
余情、余韻を表出している。

凡河内躬恒
宇多天皇、醍醐天皇の時代の代表的な歌人、
三十六歌仙の一人、
「古今集」の選者の一人、


振り返り記事「百人一首」
👇
2017年12月31日「正月と百人一首」


 

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