M男は 7~8年程前までの数年間、仕事の合間を縫っては、年に何度も すでに空き家になって久しかった北陸の山村の実家に通った。全国的に空き家問題がクローズアップされている中、地元の方々の迷惑、心配を気にしながら、出来るだけ早く解体工事をしなければならないという一心だった気がする。
戦争直後に住み着いた古家には、気の遠くなるような家財道具や農機具、雑物がぎっしり詰まっており、その分別、片付け、整理、処分の作業は 容易なことではなかったが、なんとかケリをつけて解体工事に漕ぎ着けた時は 安堵と疲れでがっくりしたものだ。
座敷、茶の間、台所、二階、押入れ、倉庫、作納屋・・・、僅かな滞在時間に、一区画づつ進める途中、子供の頃に目にしていた懐しい物が次々現れ、一瞬手が止まることも有ったが、待ったなし、せめて見納めにと 写真を撮ったものも有る。
そんな写真が 外付けHDに保存されており 改めて引っ張り出してみているところだ。
そのひとつ、確か 子供の頃 「アオリ(煽り)」?と呼んでいたような気がする農機具。一般的には 「トウミ(唐箕)」?と呼ばれているようだが M男が 小学生、中学生だった 昭和20年代、30年代には 北陸の農家では どこの家にも有って 脱穀した後の 穀物類の選別に使われていた農機具。作納屋の隅に置いて有った。
多分 今では 郷土資料館等でないと 目にしない農機具になってしまっているはず。
M男の家では 主として 大豆、小豆、ナタネ、ゴマ等の 雑穀類の選別に使っていたように思う。箱型の胴の羽車を回して 風を起こし 上部の漏斗から 穀類を 少しずつ落下させ 横の胴からの風で 重く良質な穀物は 直ぐ下の樋に、軽く未熟な穀物は 次の樋に、最も軽い籾殻やゴミは飛ばされて 機外に排出するという仕組みの農機具で 同様なものは 江戸時代から 有ったようだ。
右手で 風車のハンドルを回して風を起こしながら 左手で 漏斗から落下させる穀類の量を調節する、微妙なコントロールが必要で 風が強すぎたり 漏斗を開け過ぎたりすると 程よい選別にならない。
子供の頃のM男は 結構 それがうまく出来たみたいで ある年から その作業を任されていたような気がしている。
北陸では なかなか続くことが少ない秋の晴天の日、先ずは 庭先に 藁筵(わらむしろ)や茣蓙(ござ)を敷いて その上に 穀類を広げて乾燥させ 叩いて あるいは 扱いて 種を出し さらに乾燥させ 続いて 作納屋から 庭先に 引っ張り出した「あおり(煽り)?」に かけて 選別作業をするのである。コンクリも打ってない 庭先とて 今のような ビニールシートのようなものは無く こんな作業にも 藁筵や茣蓙が 欠かせない時代であった。電気もガソリンも使わない ただ 人力と手間隙を掛けていた農作業も 今は昔の物語となってしまった。
懐しい 昭和20年代、30年代の農村風景
相互フォロワー登録しているたなのぶ様のパソコン画
ご本人のご了解をいただき拝借