たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「踊り子の唄声」(再)

2021年10月07日 15時34分41秒 | 詩・エッセイ

7年も前、2014年6月7日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「踊り子の唄声」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「踊り子の唄声」と題した詩(もどき)が有る。「昭和43年5月20日」の日付が記されており、今から53年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、ある時、勤務先の同僚先輩3人に強引に誘われて、南伊豆方面へ1泊2日の慰安旅行をしたことが有った。もちろん、列車、バスを乗り継いでいく旅行であり、かなり強行スケジュールだったと思う。南奥伊豆、静岡県松崎町の大沢温泉に宿泊、河津、下田、石廊崎まで、足を伸ばしたような気がするが、カメラも持っておらず、写真は極くわずかしかなく、なかなか記憶が炙り出てこない。
どうやら、同じバスで宿泊先の大沢温泉に到着した女性グループに、川端康成の「伊豆の踊り子」を重ね合わせて、旅の感傷と妄想で、メモしたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「踊り子の唄声」

伊豆の山と谷は険しい、
バスは くねる坂道を 息を切らして登ってゆき、
また ゆっくり 深い谷へと 下りてゆく、
その谷の底、清流に沿って 細長く広がった平地に、
鄙びた山の里 大沢温泉郷があった、
静かな古い軒のあちこちに 湯けむりが上がっている、
雨雲が 谷まで下りてきた、
靄に包まれた山の 九十九折の山道を、
今にも あの「踊り子」の あどけない唄声が、
下りてくるような そんな気がして、
せせらぎに 耳をすませ、
旅の宿の湯船に 疲れた体を浸し、
一人 しばし 静寂に耐える、
同じバスで 同じ旅館に着いた 二階の娘達が
賑やかに 大風呂に入ってきた、
彼女達の 明るい笑い声や歓声に、
あの「踊り子」の絵姿を追っていた私は
思わず 苦笑した、
あの娘達も 明日には もう ここにいないだろう、
ふと 出会った視線が懐かしく、
また どこかで 会えるような気がした、
伊豆の旅の感傷は、
相変わらず 私の心を駆り立てた、

(昭和43年5月20日)

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「風変わりな宮廷紳士たち」・まんがゼミナール「枕草子」 その22

2021年10月07日 08時35分49秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「風変わりな宮廷紳士たち」・まんがゼミナール「枕草子」 その22

第182段 「同じ人を御供にて」
宮中のある囲炉裏から煙がくゆり出ており、村上天皇は、兵衛という女官に見てくるよう命じたが、戻ってきた彼女が、その原因を説明するのに、「蛙が囲炉裏に飛び込んで燃えていました」等と、事実を無風流には報告せずに、かって藤原輔相が詠んだ「わたつ海の」を引用して、「沖の海で漕いでいるのは、漁夫が釣りをして帰るところでした」という歌で報告する。村上天皇は、その歌から事実を悟ったはずで、こうした当意即妙な機知に富んだやり取りに、清少納言が感嘆の声を上げているという段。

村上帝の御時のことでおます。
村上天皇「雪のいと高う降りたる・・・。たれぞ様器に盛ってまいれ」、「かような趣やで、これ、兵衛の蔵人につかわすによって、歌を詠め・・・」
兵衛「かしこみて」、白楽天の詩によりまして、「琴、詩酒の友は皆我を抛ち「雪月花のとき」・・・」
村上天皇「うーん!、すばらしいで。凡人なら、およそ和歌でも詠むところやが、漢詩でまいったか」「まさに、雰囲気にぴったりマッチしとる!」
だれもまだ殿上に人は参っておらへんどす。
村上天皇「や!、かれは、何の煙ぞ」「見て参れ」
兵衛「はい!」、
あーらら、いけない、蛙が飛び込んで、黒焦げになってしもとるわ
兵衛「わたつ海の 沖にこがるる、もの見れば あまの釣りして かへるなりけり」
村上天皇「うーむ、むっ!」「ワハッ!、蔵人・・・、これまた、気の利いた和歌を詠んだの」
兵衛「あな、かしこ!」


原文だよーん

同じ人を御供(おほんとも)にて、殿上(てんじょう)に人候(さぶら)はざりける程、たたずませ給(たま)ひけるに、炭櫃(すびつ)に煙の立ちければ、「かれはなにぞ見よ」と仰(おほ)せられければ、見て帰り参りて、「わたつ海の 沖に漕がるる 物見れば 海人(あま)の釣りして 帰るなりけり」と奏(そう)しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りて、焼くるなりけり。


(注釈)

(先程の話と)同じ兵衛の蔵人をお供として、まだ、殿上の間に誰も伺候していない時間に、村上天皇が佇んでいらっしゃると、囲炉裏に煙が立ち上ったので、「あれは、何の煙であるか、見て参れ」と命じなさったので、彼女は、見てから戻り、帝のもとに参上し、「海の沖に漕いでいる物を見たら、海人が釣りをして帰るのでした」と、奏上したのこそ、私には、興味深いことだった。蛙が、囲炉裏似飛び込んで、焦げていることだったのだ。