たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ランタナ(七変化)

2021年10月15日 17時26分51秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

当地、やや雲が多かったものの、今日も爽やかな秋晴れ、
日中の気温も上昇、洗濯日和だったが、
家の中や日陰では、ひんやり。寒暖の差有り、長袖?、半袖?、忙しい。
日が傾きかけてから、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で 約8,300歩。

バッタ?

花が大きいけど、ベコニア?・・かな

君の名は?

もみじの種

数年前までは、我が家の猫額庭でも、毎年咲いていたけど
いつの間にか絶えてしまった、ランタナ、
10月半ばで、まだ、散歩の途中、見掛ける。


ランタナ

クマツヅラ科、シチヘンゲ属(ランタナ属)、常緑性低木
    和名 シチヘンゲ(七変化)
    鮮やかな小花が、外側から内側へ、半球形に群れるように
    咲き進むにつれ、花の色が変化することから付けられた花名。
原産地 中央アメリカ、南アメリカ、熱帯、亜熱帯地方
草丈 30cm~1.5m
花色 黄色、オレンジ色、赤色、白色、ピンク色、紫色
開花期 5月~10月頃
花言葉 「心変わり」「合意」「協力」「厳格」


 


「中学生日記より」その47(再)

2021年10月15日 10時23分04秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その47 「夜なべ、栗つなぎ」

昭和30年(1955年)9月24日(土)、天気 晴、
起床 6時、

1、秋分の日、
2、昼前(午前中)、くりひろい(栗拾い)、母と弟と、
3、昼から(午後)、川原の稲かり(稲刈り)、
4、今日から、稲刈り休み、
5、夜、10時ごろまで、くりつなぎ(栗つなぎ)、
6、栃錦、今日から休場、

1、4、秋分の日だが、その日から10月2日までは、「稲刈り休み」だったようだ。M男の通っていた北陸の山村の小さなO中学校では、毎年、田植え時期には 「田植え休み」、稲刈り時期には、「稲刈り休み」が、1週間程有った。生徒のほとんどが農家の子供だったこと、当時、子供と言えども、中学生ともなれば、農作業の戦力だったことで、当然だと思っていたものだ。
2、5、M男は その日の午前中は、母親と弟と3人で裏山に「栗拾い」に出掛けたようだ。もしかしたら、毎日、農作業には一切関わらず、釣りや山歩きしていた祖父から、まだまだ大量の山栗が拾える穴場?情報が有って、出掛けたのかも知れない。もちろん、小粒な山栗ばかりだが、どっさり、拾ってきたようで、この日も、茹でた山栗を綿糸で繋ぐ作業に、夜10時頃まだ掛かったようだ。家族全員でする、夜なべ仕事だった。綿糸で繋いだ栗は、軒先等にぶらさげて乾燥させ、カチカチになった栗は、冬のおやつになり、炬燵で、カリポリ食べたものだ。
、午後からは、また、M男の家からは一番遠い、川原の田んぼの稲刈りの手伝いとなったようだ。多分、父親は、隣リ町の印刷店勤務日で、母親と二人の仕事だったのだろう。1株づつ「稲刈り鎌」で刈り、束ね、道路まで運び出す、根気の要る仕事、M男にとっては、嫌々ながらする仕事で、サボっては怒られるの繰り返しだったような気がする。
「栃錦休場」、・・・、懐かしい四股名(しこな)、そんな時代だったのか、感慨深い。
M男の暮らしていた北陸の山村は、東西南、山に囲まれていて、ラジオの電波は極めて弱く、NHKラジオ第1が、雑音混じりでやっと聞けた土地だったこともあり、子供も大人も、スポーツと言えば、「大相撲」だった気がする。

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