たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

いつもより早い冬支度と餅つき

2021年10月24日 15時25分41秒 | 暮らしの記録

当地、今日も、快晴、
絶好の行楽日和ではあるが、とりあえず出掛ける予定は無し、
関東西部山沿いの当地、
秋~冬の気温は、平地より1~2℃低くなることが常だが、
今年は、このところ、すでに、最低気温が1桁台の日が多くなっており、
そろそろ、低温に弱い君子蘭等の鉢植え植物を、
屋外から室内に運び込まなくては・・・。
過去のブログ等を見る限り、毎年、11月中旬頃になってやっていた冬支度。
今年は かなり早いが、もう暑くなることはあるまい・・ということで
今日、運び込み。
株が増えて、年々大物になっている君子蘭は、重い、重い、
中腰、ギックリ腰にならないように・・・、
来年は、もう無理?、株分けして、小鉢にしないと・・・、

そして今日は 午前中、「餅つき」もして・・・。
「餅つき」・・・と言っても、家庭用餅つき機で行うもので、妻一人で十分、さほど大変なものでは無く、餅好き老夫婦、正月用餅に限らず、毎年、1年に数回は、行っているもの。
昼食は 例によって、「からみ餅」の、立ち食いと相成った。

過去に書き込んでいた記事を、下記、コピペ、リメイクしてみた。

昨日から浸しておいた餅米(2升)、

家庭用餅つき機は、30数年前に買った、東芝製「もちっ子」で、未だに健在、

(1)浸しておいた餅米を 水を切って 餅つき機の「ウス」に移す。 
(2)先ず、「むす」ボタンを押して待機、蒸し上がるとブザーが鳴る。
(3)次に、蓋を取り除いて、「つく」ボタンを押す。        

(4)10分~15分程度で、つき上がり。

昼食は、毎度のこと、つきたての餅に、大根おろしと納豆を絡ませた「からみ餅」。

 

のした餅は、翌日朝に切り餅にして、直ぐ食する分を除いては、冷凍保存、
しばらくの間、餅が食べられる。

 

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「中学生日記より」その48(再)

2021年10月24日 09時47分38秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その48 「元日、書き初め、百人一首」

昭和31年(1956年)1月1日(日)、天気 雨、
起床 6時30分、就床 9時50分、

1、元日、初日の出など、元旦にきなんで(因んで)、ラジオは、にぎやか、
  さかんに、「明けましておめでとう」といっている(言っている)。
  新聞、2日分、五枚入り、
2、このよい元日に、新潟県彌彦神社で、死者112人余り、重軽傷者、
  50名余りという大事件(大事故が発生した)、
3、10時から、ぼく(僕)たちの新年の式、
4、僕への年賀状をくれた人、〇〇、△△、✕✕・・・・・、
5、昼後、全部、かきぞめ(書き初め)をおえた(終わらせた)、
6、夕食後、かるた、百人一首、トランプ等をした、
帰家 11時20分、

1、その年の元日は、雪ではなく、雨だったようだ。暗い元日?
  冬季は、日本海から渡ってくる冷たく湿った北西の季節風のため、1日中、快晴ということが
  少ない北陸の山村。M男は、子供の頃、ラジオ等から伝わってくる、晴れ渡った太平洋側の
  大晦日や元日の賑やかな情景を、羨ましく、別世界?のようにも感じていたものだ。

  当時、村落の中心から外れたM男の住んでいた集落には、新聞配達は無く、簡易郵便?で
  届けられていたような気がする。ニュース等は、ラジオからか1日遅れの新聞からでないと
  受けることが出来なかったことで、新聞が届くのを待ち構えている風でも有った。

2、すっかり忘れてしまっていたが、昭和31年の元日、新潟県の弥彦神社で、
  押しかけた初詣客の死者112人余の大惨事が発生。
  正月早々、大ニュースだったこと、思い出した。


参考「NHKアーカイブス」 → こちら


3、全く記憶が残っていないが、元日には登校して、「新年の式」等が有ったようだ。
  帰家、11時20分となっている。
4、同級生同士、年賀状のやりとりしていたようだ。信じられないことだと思われるが、
  今の、メールやLINE感覚だったのかも知れない。
5、毎年、元日には、茶の間の炬燵から、冷え切った座敷に引っ張り出されて正座、
  墨を摺る作業から始めて、父親の指南で、「書き初め」を書き上げることが、
  M男の家の習慣になっていた。これが終わらないと遊ばせてもらえなかったと思う。
  書き初め用紙も貴重だった時代、まずは、父親のOKが出るまで、新聞紙で練習を重ね、
  それから清書。10枚程度を書き上げ、一番良さそうなものを
学校提出用に、
  次ぎに出来がよさそうなものを自分の家の梁に貼り、残りは 近所の子供の家に配ると
  いうものだった。お互いの家で配り合い 年始回りの来客の目に触れ 
  品評したり話題にしていたものだ。


振り返り記事 ⇨ 2012年12月8日「書き初め」


6、テレビも無かった時代、まだまだ 伝統的なゲームや遊びしか無く、M男の家では
  正月になると必ず 家族で「百人一首カルタ取り」をしていた。父親が読み手となり、
  負けず嫌いの母親もムキになって参加していた。勝った時の賞品?は 
  みかんや落花生だったような気がする。


振り返り記事 ⇨ 2017年12月31日「正月と百人一首」


 

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