たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

思い出の紅葉山旅 「八方尾根雨紅葉」(再)

2021年10月20日 22時38分34秒 | 山歩記

もう7年前のこと、体力も気力も減退の老夫婦、「その内いつか・・・」等と言ってられなくなり、それが最後の山旅になるかも知れない等と思いながら、2014年10月3日~4日、山頂山小屋泊のゆっくり山歩きで、「唐松岳」を訪ねたことが有った。第1日目は、生憎の雨で、スタート地点黒菱駐車場で、しばらく待機、思案もしたが、わずかに天候回復の兆しも有り、雨中決行した。
その山旅のお目当ては、八方池での大展望だったが、結局、第1日目も、第2日目も、雨は上がってくれず、叶わなかった。ただ、八方尾根の登り、下りで、雨に煙った紅葉風景が堪能出来、それはそれで良かったと、内心満足したものだった。八方尾根を歩くのは、3回目だったが、紅葉時期に、しかも雨の中を歩いたは初めてのこと、今となっては、記憶に残る山旅となっている。


コンデジでやたら撮った写真は、以前、「デジブック」にまとめて、再三ブログでもアップしたことがあるが、その「デジブック」のサービスが終了してしまったため、外付けHDに眠ってしまった写真の一部を引っ張り出して、改めて、「ZUISO」にしてみた。
「ZUISO」は,写真枚数に制限があるため,とりあえず,第1日目の写真を2分、「その1」、「その2」、2本立てにしている。


ZUISO 「追想山旅・八方尾根雨紅葉・その1」 → こちら
ZUISO [追想山旅・八方尾根雨紅葉・その2」 → こちら


 


コマツナ(小松菜)に追肥、土寄せ 他

2021年10月20日 21時39分22秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、快晴の1日、
「どこーか、遠ーくに行きたーい♫」・・・気分だったが、
先日、やり残した畑仕事有り、
午後になって、やおら、畑へGo! と相成った。

(1)コマツナ(小松菜)に追肥、土寄せ

(2)白菜、大根の畝の草取り、

(3)水やり


畑の周りで蔓延る「君の名は?」

秋の日は釣瓶落とし、


「夕焼けのとき」(再)

2021年10月20日 10時14分30秒 | 詩・エッセイ

6年も前、2015年9月25日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「夕焼けのとき」

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「夕焼けのとき」と題した詩(もどき)が有る。「昭和42年11月15日」「遠州浜にて」と記されており、今から54年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった拙劣詩、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

イメージ
(ネットから拝借画像)

「夕焼けのとき」

今黄昏れる
晩秋の憂いを秘めて
金色に映える大海原
影残す砂丘のかなた
潮の香りに誘われて
人知れぬ望郷の思い
美しき天然の変り行く姿は
感傷の旋律
遠く船影一つ
渚に涙する少女一人
悲しく唄うシルエット
やるせない波音に
胸ふたぎ
秋の終わりの、
ひたぶるに 
うら悲し
浜辺の暮れる

(昭和42年11月15日、遠州浜にて)