5年前、2016年7月8日、に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)
「故郷(ふるさと)」(再)
記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。
その中に、「故郷(ふるさと)」と題した詩(もどき)が有る。「昭和40年7月10日」と記されており、今から56年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮同室友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった拙劣詩、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。
故郷(ふるさと)
愛し(いとし)妹の手をとりて
堤を巡る夕間暮れ
浴衣(ゆかた)にやさし涼風(すずかぜ)の
川面に映る夕焼けは
遠くなつかし故郷(ふるさと)の
美し夏の夢なりき
今 汝(な)は 星の下(もと)
我が想いは はるかなり
(昭和40年7月10日)
小学生の頃、学校から帰ると、よく、まだ赤ん坊だった妹T子の子守をさせられていたものだった。妹を負ぶい紐でおんぶしたまま、近所の子達と、かけずりまわっていた記憶がある。
大人達が野良仕事で留守になる農村では、そんな光景があたり前の時代だったが、その妹が、ある年、大流行した悪性の流行性感冒(今でいうインフルエンザ)に負けてしまい、幼くして天国に旅立ってしまった。小学生の子供には、妹の死がどれ程のショックだったかは、計り知れないが、昭和40年、すでに故郷を離れてから幾年にもなり、故郷の夏の情景と妹の残像が重なって想い浮かび、書いたのかも知れない。
振り返り記事
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