たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

久し振りの雨で生き返った気分

2022年08月05日 16時12分37秒 | 暮らしの記録

一昨日から昨日、今朝にかけて、東北、北陸、近畿等、広い範囲で、記録的大雨による河川氾濫、土砂崩れ等、大災害が発生、大変な状況が伝わってきている。被災地の方々のご無事と、一刻も早い復旧を祈るばかりである。35℃超の猛暑日が続いていた当地も、昨夜から未明にかけて、ややまとまった雨が降ったようで、今朝は、地面は濡れて、体感的にはひんやり涼しく、生き返ったような気分がした。日中は、今にもまた降り出しそうな雲行きだったが、夕方になって、やや明るくなってきた。どうやら、最高気温も、27℃前後だったようで、昨日までとは雲泥の差、過ごしやすい1日ではあった。
とりあえずは、早朝に水やりをするため畑に出掛ける必要無しだった分、楽チン!
午前中、収獲だけしてきた。

散歩・ウオーキングの途中では、あっちこっちで、満開のサルスベリを見掛けているが、我が家の猫額庭のサルスベリも、ようやく満開になってきた。

 

花後のアガパンサス

まだまだ元気なカシワバアジサイ

 

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その19(3)

2022年08月05日 11時09分00秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その19(3)
「燕岳から餓鬼岳」(2日目の後半)


かれこれ22年前の2000年8月のこと、妻と次男(当時、大学生)の3人で、燕岳から餓鬼岳を歩いたことが有った。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいることが分かったが、今年も夏山シーズンを迎え、NHKテレビ等の山番組をチラ見するたび、なんだか懐かしくなり、改めて、コピペ・リメイクしてみることにした。当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出しているところだ。記憶は、どんどん曖昧になってきているが、写真や記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。
その年の夏、「燕岳から餓鬼岳」を歩こうと決めたのは、長年、一度は訪れたいと思っていた「燕岳(つばくろだけ)」、「燕山荘(えんざんそう)」、その内いつか・・等と言ってられない歳になり、「今でしょ!」と思い込んだことと、山雑誌等で見掛けた「北燕岳のコマクサの群落」を、是非見たいという思いが重なったことからだったように思う。ただ、何分、体力、経験に自信の無い夫婦、次男の強力なサポートも有り、しかも山小屋2泊、ゆっくり、のんびりの山歩きにしたのだった。


お目当てのコマクサの群落を、好天の下でたっぷり堪能、気を良くして、東沢乗越へ向かったような気がする。しばらくすると、岩稜線から東側へ回り込み、下る場所が有るが、そこには、また、想像していた以上のお花畑が広がっていて、感動が倍増したものだった。燕山荘でいただいたルートマップによると、北燕平と呼ばれている場所だったが、百花繚乱、草木に疎い爺さん、当時はまだ、高山植物等、ほとんど花名知らず分からずだったが、やや興奮気味に、やたら撮っていたようで、拙劣写真がわんさか残っている。花名は、後年になってから、照合したもので、いずれも不確かだが・・・。

 

イブキトラノオ?                    ハクサンフウロ?

 

残雪の脇でハクサンイチゲ

 

シナノキンバイ?                 ミヤマダイコンソウ?

 

?                   ?

 

テガタチドリ?                   カラマツソウ?

 

チングルマ                     チングルマの花柱

 

タカネシュロソウ?          モミジカラマツソウ?

 

コイワカガミ?                      ミャマクワガタ?

 

オタカラコウ?                 アオノツガザクラ?

 

タカネグンナイフウロ?                  オオレイジンソウ?

 

ハクサンチドリ?             ヨツバシオガマ?

 

ミヤマキンポウゲ?                       クルマユリ

 

ミヤマトリカブト?

?                        ウサギギク?

 

?                 タカネツメクサ?

 

8時頃、東沢乗越を通過し、丸山新道と呼ばれている登山道を餓鬼岳へ向ったが、前後に、登山者、ハイカーの姿がまるで見えず、一抹の不安が過ったような気がする。まずは、樹林帯の急登で喘いだが、その後は、厳しい岩稜で、ハシゴ場の連続、東沢岳(標高2,497m)から剣ズリでは西側に巻き、さらに樹林帯の急登、緊張の連続で、かなりバテバテになった気がする。

森林限界を抜けると展望が良くなり・・・、
再び、立山連峰、劔岳

ところが、なんとか難所を通過し、早めの昼食の準備を始めていた時である。
突然、遠くから雷鳴が聞こえてきて・・、急激にガスも吹き上げてきて・・、
こんな稜線上で、雷に襲われたらたまったものではなく・・、
急遽、昼食を中止、とにかく餓鬼岳小屋を目指すことになった。
火事場の馬鹿力?、バテバテでは有ったが、急げ、急げ、
前日の合戦小屋で足止めを食った、激しい雷雨が頭に有ったため、余計だった気がする。
やっと、餓鬼岳小屋の赤い屋根が見え始めた頃には、パラパラ雨も降り出してきた。
幸い、雷鳴は、近づいて来なかったが、気が気ではなく、

さらに、ピッチを上げ、餓鬼岳小屋に飛び込んだのは、13時頃だったと思う。
雷鳴に追い立てられ、昼食もとらず、オーバーペースで歩き、バテバテ。
雨具類を、物干し場に吊るし、まずは、昼食。
好天ならば、小屋到着後、餓鬼岳山頂往復するつもりでいたが、
雨、ガスで展望無しでは、仕方なし、
登頂は、翌朝にすることにし、休息を決め込んだものだった。

午後のひととき、急速に天候回復、青空が見え出したが、
すっかり着替えてしまっていたため、
小屋周辺でゆっくり、のんびり、
居合わせた、日帰りの信州大学ワンゲル2人組と、しばし交歓。
餓鬼岳小屋は、大正14年創設の赤い屋根、平屋建て、
餓鬼岳山頂直下、標高2,600mに有る山小屋である。
当時は、薪ストーブ、天水、電話もテレビも無い、昔の山小屋の雰囲気だったと思う。
従業員は4人だったか?、皆さん気さくで話しかけてくる等、
家庭的な応対で、宿泊者を名前で呼んでくれるのには驚いたものだ。
その日の宿泊者は、白沢登山口から雨の中、登ってきた数組のグループ、
千葉県の山の会の男女4人組、浜松の男性2人組、女性グループ5人組、
離れの個室の女性グループ5人組、夫婦連れ、単独男性、だったようだ。

餓鬼岳小屋と餓鬼岳山頂


夕食は、17時からだったようだが、1間しか無い小屋のため、宿泊者の荷物等を片付けて、長テーブルを並べ、全員集まって食事、食後には、また長テーブルを片付けて、布団を敷くスタイルだった気がする。お盆に帰省した実家の茶の間の雰囲気だったことが、印象強く残っている。
消灯は、21時だったが、19時頃には、ほとんどが就寝、静かな山小屋だった。

(つづく)

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