たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

地這いキュウリ初収獲

2022年08月29日 18時56分27秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、1日中、雨雲が低く垂れ込め、今にも降り出しそうな空模様だった。
最高気温も、24℃~25℃だったようで、
体感的には、涼しい、より、薄ら寒くもあったが、
過ごしやすい気候になってきたものだ。
降り出す前に・・・、
ということで、午後、畑へ。

(1)地這キュウリ初収獲(1本だけ)、
   夏野菜キュウリは、とっくにおしまいになっていたが、
   バトンタッチの形で、
   地這いキュウリが、花を沢山付けており、これからが楽しみに・・、
   ゴーヤ、トマト、ナス、ピーマン、シシトウは、まだ元気?

(2)白菜、ポット種蒔き。

夕方には、小雨が降リ出したが、いい塩梅である。

 

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三角乗り(再)

2022年08月29日 10時33分43秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、10年も前、gooブログに引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事「三角乗り」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事をクリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「三角乗り」(再)

昭和20年代後半から30年代前半頃、北陸の山村で、M男が小学4年から6年頃の話であるが、一時、自転車の「三角乗り」に夢中になって挑戦していた時期があった。終戦後10年程経っても、農村部の貧しい暮らしは相変わらずだったが、ちらほら、自転車を保有する家が出始めていた頃だった。

自転車と言っても、今のような、軽量で乗り心地の良い作りではなく、後部には、大きな荷台が付き、鉄厚、重いフレーム、コールタールを塗ったようなゴッツイ作りの自転車がほとんどで 主として、通勤通学用というより、むしろ荷物の運搬が目的だったようなものだった。しかも、なかなか新車購入とはいかず、自転車店で販売していたポンコツに近い中古自転車が多かったと思う。おそらく、都市部で用無しになったものが、格差のあった地方に流れてきて、出回っていたのだと思われる。当然、子供用の自転車等有るはずもなく、子供達は、そんな大人用のデカい自転車に何とかして乗ろうと、必死に挑戦していたのだが、その方法が「三角乗り」」だった。

M男の家でも、ある時、父親が、中古の自転車を手に入れたが、多分、勤務先の印刷店の口利きで 同じ商店会の自転車屋から、安く買ったのだと思われる。昼間、自転車の有る家の子供達は、いち早く、自転車に乗れるようになり誇らしげにしていたが、自転車を父親が通勤に使っていたM男の家には、昼間自転車は無く、遅れをとっていたM男は、毎日イライラしていたように思う。一刻でも早く、自転車に乗りたくて仕方なかったM男は、夕方、父親の帰ってくる時間帯には、国道から 家に向かってくる農道の途中まで行って待ちかまえ、奪うようにして借りて乗ったものだった。三角フレーム、サドルの調節も出来ない大人用自転車とて、小学生がまたがってペダルをこぐことは不可能。乗り方は、三角フレームの間に、右足をくの字に曲げて突っ込み、右のペダルを踏み、自転車をやや右に傾けて、体で微妙なバランスをとりながらこぐという、なんとも不安定な、危なっかしい乗り方で、それを、「三角乗り」と呼んでいたのだ。

当時の農道は、もちろん舗装も無し、リヤカーの轍有り、雑草の盛り上がり有り、石ころ有り、凸凹、軟弱な道。倒れた自転車を起こすのもやっとの子供にとっては、四苦八苦の連続。倒したり ぶつけたり。父親にとって、大事な通勤用の「マイカー」。ヒヤヒヤしていたに違いない。実際 あちこち壊して修理に出すはめになったこともあったような気がする。M男自身も、打撲、擦り傷、切り傷、あざが絶えなかったが、当時の大人達は、だから「やめろ」と言わなかったような気がする。家に戻り、赤チン軟膏を塗って、「治療終了」。多少の怪我で大騒ぎするような時代ではなかったのだ。
「三角乗り」で連続して長い距離を走れる訳はなかったが、ほんの10数メートルでも、走れた瞬間は嬉しくて仕方なかったものだ。
発育盛りとて背丈はどんどん伸び、やがてサドルにまたがって、なんとかペダルに足が触れるようになると、今度は、腰、尻を大きくシーソーさせて、こぐ乗り方に変化。この乗り方であっても 悪路を走るとなるとハンドルがくねくねし、かなり危なっかしい。しかし、曲りなりにも大人の自転車に乗れたという喜びで有頂天だったものだ。

(ネットから拝借したイラスト)
「三角乗り」

M男が中学生となった年、どんなやり取りが有ったかの記憶にないが、M男は、通学用に新しい自転車を買ってもらった。両親にしたら、かなり無理をした買い物だったに違いないが、M男の家が 学校から最も遠い集落に有り、学校側が特別自転車通学を認めてくれたといういきさつもあったのだと思う。かくして、M男は、3年間、相変わらず凸凹で、軟弱な農道を自転車で通学することになったのだった。当時、中学校のほとんどの生徒の通学用履物は、何故か、駒下駄(こまげた)、あるいは、足駄(あしだ)(高下駄)だった。M男も右へ倣えで、駒下駄、足駄で通ったものだが 雨の日には、今は禁止になっている、左手に傘を差し、右手でハンドルだった。しかも、滑りやすい下駄を履いて、泥んこ道を悪戦苦闘、まったく危険極まりない自転車通学をしていたことになる。しかし、それが当たり前だと思っており、禁止もされず、平気な時代だったのである。
わずか60年、70年前の話だが、遠い昔話、隔世の感有りである。

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