gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、嬉し、懐かしくなってしまい、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
今日、10年も前、2012年6月7日に書き込んでいた記事「藁草履」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事をクリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
1949年(昭和24年)4月、M男は、北陸の山村の村立O小学校に入学した。1学年、1クラスの小さな学校で、しかも、講堂(体育館)を挟んで、村立O中学校が繋がっている、小中併設校だった。農山村のこと、転入者も転出者もほとんど無かった時代、結局、M男達同級生38人(+、-1人)は、9年間、実の兄弟よりも長い時間を、その学校で時間を共有したことになる。
当時はまだ、集落に、写真機(カメラ)等持っている家は無く、子供の頃の写真はほとんど残っていないが、唯一、小学校1年になった直後に撮ったものと思われる集合写真が、古いアルバムに貼って有る。じっくり眺めていると、当時の暮らしの様子まで、炙り出されてくるように思う。
着ているものといったら、上の子のお下がりだったり、仕立て直しの服だったり、みんな、粗末なかっこうをしている。M男が着ていた服も、戦前、東京で働いていた父親が着ていた洋服を、母親だか祖母だかが、仕立て直したものだったという話を、かなり後年になって知ったが、戦後間もない頃の、貧しい山村の暮らしが分かる。
足元を見ると、ほぼ全員が、素足に藁草履(わらぞうり)を履いている。農家がほとんどの村とて 脱穀した後の藁は、草履だけでなく、すんぶく(雪用履物)、筵(むしろ)、米俵(こめだわら)、叺(かます)(もみ米を保管しておく大袋)、布団(綿の代用)、そして、最終、堆肥に至るまで、とことん活用していた時代だった。
(ネットから拝借画像)
M男は、藁草履を、夜なべして黙々と作る大人達の姿を、良く目にしていて、その情景は今だに忘れない。先ず、藁を根気よく木槌でたたいてやわらかくし、長く細い縄を作り、足の大きさよりやや大きい輪状にして、4本、ぺったり座って伸ばした足の指に引っ掛け、手前で結び、編み出す。足の大きさ程度、編み上がったところで、鼻緒を編み入れ、手前に残っている尻尾のような縄を グイッと引くと先端が丸まり、草履の形になる。といった作業だった。なにしろ藁製のこと、直ぐ 壊れてしまうため、何足も何足も、作っておく必要があったのだ。
また、記憶は曖昧だが、たしか、すんぶくと呼んでいた雪用履物があった。やはり、藁で編み上げて、長靴のような形に作るのだが、よくもまあ、あんな風に作れるものだと尊敬して見ていた覚えがある。子供には、ぶかぶかだったり、足に合った形には、なかなかならないので、履き心地は あまり良くはなかったが、雪の中でのそり遊びには、必需品だった。
その他、筵(むしろ)、米俵(こめだわら)、叺(かます)等、農家では、それぞれ工夫して、自前の治具を手作りし、苦労を苦労とも考えず、終戦直後の何も無い時代、自給自足の暮らしをしていたのだ。
昭和20年代後半になると、短靴(たんぐつ)と呼ばれていた簡単なゴム製の靴や、ゴム草履が普及してきて、藁草履の姿は、急速に消えて行ったように思うが、藁草履で、よくも登校したり、遊び回っていたものよと、今更になって思う。すんぶくも、ゴム長靴が普及してきて、急速に消えて行った。
食糧事情もまだまだ悪く、動物性たんぱく等を取れる状況になかった。毎日、菜っ葉、芋類、漬物類で、栄養失調気味、皆、顔色が悪く、痩せていた。衛生状態も良くなく、校庭だか、体育館だかに、1列に並ばされ、「ハイ、次ぎっ」「ハイ 次ぎっ」と、首や腹から噴射器を突っ込まれ、DDTの白い粉を吹き掛けられたことたびたび。頭まで真っ白にされた。まるで,動物並み扱いのノミ、シラミ対策だった。他にも、胃腸に寄生する回虫を退治する薬を飲まされてこともある。すると、便と一緒にミミズのような回虫が出てくるという塩梅だった気がする。
今からわずか70年前頃の、日本の農村の暮らしの話であるが、若者からは、「江戸時代かよ」等と突っ込みが入りそうな話である。隔世の感有り、遠い昔話になってしまったかと、自嘲するばかりである。