今日8月9日は、長崎に原爆が投下されてから77年目の日である。
毎年、この日になると、「長崎の鐘」が、必ず思い浮かんできてしまい、毎年同じことを、ブログに書き込んでいるが、今年も、コピペ、リメイクしてみた。
昭和20年代後半頃から30年代、小学生、中学生だった頃の話、ラジオの電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送1局が、雑音混じりにかすかに聞ける北陸の山村で育ち、広島、長崎、原爆・・・等の知識、情報にも疎かった子供だったと思っているが、ラジオから流れてくる数多の歌謡曲の中で、藤山一郎歌う「長崎の鐘」を聴くと、何故だか涙が出たような気がしている。決して歌の真意を分かってのことでなかった気がするが、子供ながらにして、深く脳裏に焼き付いた歌謡曲だったのだ。
今更になってネットで調べてみると、
「長崎の鐘」は、爆心地に近い長崎医科大学で被爆した、当時助教授だった永井隆が、当時の状況や重症を負いながら救護活動に当たった様子等を執筆した随筆「長崎の鐘」を基に、サトウハチローが作詞、古関裕而が作曲、唄、藤山一郎で、1949年(昭和24年)に、コロンビアレコードから発表された歌謡曲だった。
永井隆は、大量出血で失神したものの、気がついた後、生き残った医師や看護婦と共に、被災者の救護にあたり、帰宅したのは翌日だったのだという。自宅は、跡形もなく、台所の有ったあたりには、焼け残った妻の骨盤と腰椎、そして妻が身に付けていたロザリオが転がっていたのだそうだ。
永井隆は、闘病生活、多くの苦難にめげず、平和と愛を訴え続け、その姿は、国内のみならず、海外でも深い感動を呼んだが、1951年(昭和26年)に、43歳の若さで逝去されたのだった。
作詞 サトウハチロー、作曲 古関裕而、唄 藤山一郎、
「長崎の鐘」
1、こよなく晴れた青空を、
悲しと思うせつなさよ、
うねりの波の人の世に、
はかなく生きる野の花よ、
なぐさめ、はげまし、長崎の、
ああ、長崎の鐘が鳴る、
2、召されて妻は天国へ、
別れてひとり旅立ちぬ、
かたみに残るロザリオの、
鎖に白きわが涙、
なぐさめ、はげまし、長崎の、
ああ、長崎の鐘が鳴る、
3、つぶやく雨のミサの音、
たたえる風の神の歌、
輝く胸の十字架に、
ほほえむ海の雲の色、
なぐさめ、はげまし、長崎の、
ああ、長崎の鐘が鳴る、
4、こころの罪をうちあけて、
更け行く夜の月すみぬ、
貧しき家の柱にも、
気高く白きマリア様、
なぐさめ、はげまし、長崎の、
ああ、長崎の鐘が鳴る、
口ずさんだだけでも、聴いただけでも、涙が出てくるようである。
作詞家のサトウハチローも、作曲家の古関裕而も、数多くのヒット作品を残しているが、静かな詩、曲調の中に、戦争への怒り、悲しみを刻み込み、心を揺さぶる、最高傑作の楽曲ではないかと思っている。
ハーモニカ演奏の「長崎の鐘」 (YouTubeから共有)
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