「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その61 「南極観測船宗谷氷から脱出ニュース」
昭和32年(1957年)3月2日、土曜日、天気 雪
学期末考査最終日
1、保体、割に(割りと)やさしいようだったが?
2、音楽、中学生一斉に、
どちらも思ったより(予想したより)やさしかった。
暴風のため動けなかった宗谷(が)助かった。
ソ連砕氷船オビ号は、米グレーシャー号より先に宗谷を助けた。
グレ-シャー号は、引き返した。宗谷とオビ号は、手旗信号で感激感激の心を伝えあったという。何十日も氷に閉じ込められた宗谷の乗組員は、どんなにうれしかったろう。
3学期の学期末テストの最終日だったようだ。この日は、「保健体育」と「音楽」の2科目、主要科目ではなかったが、苦手科目だったこともあり、予想していたよりやさしい問題で、ホッとした様子だ。
天気は、「雪」だったようで、3月2日、春まだ遠い北陸の山村だった。
すっかり、記憶からは喪失していたことだが、この日、南極観測船宗谷が、閉じ込められていた氷から、ソ連の砕氷船オビ号により助けられたようだ。今更になって、ネットで調べてみると、この年の2月、第一次南極観測船宗谷が、オングル島への昭和基地建設の物資輸送を終えて、南極を離れた直後に氷に閉ざされてしまい身動き出来なくなり、氷の中で越冬を覚悟したようだが、ソ連の砕氷船オビ号が駆け付け氷を割り、宗谷が救出されたという日だったのだ。
当時は、テレビも無かった時代、刻々伝わるラジオのニュースに耳傾け、1日遅れの新聞を読み、南極海の情景や宗谷の緊急事態を想像しながら、ハラハラドキドキしていたのかも知れない。
第一次南極観測隊の物語は、後年になってから、映像や記録を何度となく目にしたものだったが、それが、「中学生の頃のことだったのか・・」、と、つくづく思う。
(追記)
相互フォロワー登録している「電網郊外散歩道」narkejp様よりコメントをいただき、「宗谷」に関連した記事を、ご紹介しただきましたので、リンクさせていただくことにした。⇨こちら