たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ポカポカ陽気に誘われて・・、

2023年01月09日 13時36分57秒 | 散歩・ウオーキング

当地、早朝の気温は、0℃前後だったようだが、
穏やかに晴れて、日中は、14℃前後まで上がったようだ。
体感的には、季節外れのポカポカ陽気となり、
こんな日に、家籠もりは、もったいない?・・・・、
ちょこっと、近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約9,500歩。

途中、砲筒型大レンズ、カメラ、三脚を構えた数人のかたまりが有り、
狙っていたのは、ダイブを繰り返していたカワセミ、
その後ろから、そーっと、コンデジで、カシャ、カシャ・・・、
ピンボケばっかり・・・、
なんとか、数枚・・、
ダイブは、無理・・・、

 

カシャカシャカシャカシャ・・・、
一斉の連写の音を聞きながら、その場を後にした。

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成人の日

2023年01月09日 08時24分18秒 | 暮らしの記録

当地、今日の日の出時刻は、6時53分頃、
日の出前の朝焼け、西の空には、残月、
今日も、快晴の1日になりそうだ。

今日 1月9日は、国民の祝日、「成人の日」。世の中、三連休の最終日。
・・・だが、
毎年のこと、一瞬、「今日は、何の日?」と思ってしまう爺さんだ。
1948年(昭和23年)に制定された「成人の日」は、1999年(平成11年)まで、「1月15日」と決まっていて、2000年(平成12年)から、ハッピーマンデー制度により 「1月の第2月曜日」となり、すでに23年も経っているにも拘わらず、「成人の日=1月15日」と、刷り込まれている老脳とて、未だに、違和感が有り、戸惑ってしまう。 
早朝から、各地で 一部の若者(バカモノ)達が、騒いでいる様子が伝わってきて、遠い昭和の質素な「成人の日」が懐かしくもなる。

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五木寛之著 「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」(再)

2023年01月09日 05時27分00秒 | 読書記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、2016年12月22日に、ブログ・カテゴリー「読書記」に書き込んでいた記事、「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
その頃はまだ、生まれて初めて、図書館に足を向け始めたばかりの頃で、どんな作者のどんな作品を読んでみたいのかの見当もついていなかった頃だったが、たまたま新聞の広告欄で見掛け、その気になり、手を伸ばした書だった気がする。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
2016年12月22日の記事
五木寛之著「余命・・これからの時間をいかに豊かに生きるか」

図書館から借りていた、五木寛之著、「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」(祥伝社)を、読み終えました。たまたま、先日、新聞の広告で見掛けた本で、その気になって手を伸ばしたものです。



84歳で、今尚、ご活躍されておられる五木寛之氏の、自らの生き方、逝き方等の考え方、人生観、日本人の4人に一人が65歳以上という、超長寿社会に生きる我々への指針、助言等、重く、深い内容が書かれています。
後期高齢者の爺さん、本書の随所に、同じような、似たような思いや考え方を見つけ、大いに共感、同感を覚えてしまいました。

▢目次
 第一章 「余命を前向きに考える」
 第二章 「人はどのように死んでいくのだろうか」
 第三章 「人には逝き時というものがある」
 第四章 「死を避けない。自分の逝く年を決めてみる」
 第五章 「死をイメージしてみる」

▢解説
「余命とは、余裕をもって、残された時間」・・から、書き出されています。
「あとがきにかえて」の中で、氏は、「私自身は、すでに平均寿命をこえて生きながらえています。もし、明日、世を去ったとしても文句はいえません。それどころか、今日まで、命ながらえたことを謙虚に感謝すべきだろうと思います」と、述べられ、「これから、なにをするかではなく これまで何をしたかをふり返ってみる。それが、何かに役立つとは思えない」・・・、「だが・・・・」と、続けます。
そして、「残された時間は、決して知ることはできない。しかし、それが、短かろうが長かろうが やがて終わることはたしかなことだ。そこを見つめるところから、あらたな余生が始まるのだ」
と、締めくくっておられます。

 

 

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