gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、2016年12月22日に、ブログ・カテゴリー「読書記」に書き込んでいた記事、「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
その頃はまだ、生まれて初めて、図書館に足を向け始めたばかりの頃で、どんな作者のどんな作品を読んでみたいのかの見当もついていなかった頃だったが、たまたま新聞の広告欄で見掛け、その気になり、手を伸ばした書だった気がする。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
振り返り記事
2016年12月22日の記事
五木寛之著、「余命・・これからの時間をいかに豊かに生きるか」
図書館から借りていた、五木寛之著、「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」(祥伝社)を、読み終えました。たまたま、先日、新聞の広告で見掛けた本で、その気になって手を伸ばしたものです。
84歳で、今尚、ご活躍されておられる五木寛之氏の、自らの生き方、逝き方等の考え方、人生観、日本人の4人に一人が65歳以上という、超長寿社会に生きる我々への指針、助言等、重く、深い内容が書かれています。
後期高齢者の爺さん、本書の随所に、同じような、似たような思いや考え方を見つけ、大いに共感、同感を覚えてしまいました。
▢目次
第一章 「余命を前向きに考える」
第二章 「人はどのように死んでいくのだろうか」
第三章 「人には逝き時というものがある」
第四章 「死を避けない。自分の逝く年を決めてみる」
第五章 「死をイメージしてみる」
▢解説
「余命とは、余裕をもって、残された時間」・・から、書き出されています。
「あとがきにかえて」の中で、氏は、「私自身は、すでに平均寿命をこえて生きながらえています。もし、明日、世を去ったとしても文句はいえません。それどころか、今日まで、命ながらえたことを謙虚に感謝すべきだろうと思います」と、述べられ、「これから、なにをするかではなく これまで何をしたかをふり返ってみる。それが、何かに役立つとは思えない」・・・、「だが・・・・」と、続けます。
そして、「残された時間は、決して知ることはできない。しかし、それが、短かろうが長かろうが やがて終わることはたしかなことだ。そこを見つめるところから、あらたな余生が始まるのだ」
と、締めくくっておられます。