たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「真白き富士の根(嶺)(七里ヶ浜の哀歌)」

2023年01月23日 18時16分09秒 | 懐かしいあの曲

1月23日「今日は、何の日?」
ネットで検索してみると、「電子メールの日」「八甲田山の日」「真白き富士の嶺の日」「アーモンドの日」「ワンツースリーの日」等々、いろいろ有りだが、
「真白き富士の嶺の日」・・・???、
解説を読むと、1910年(明治43年)1月23日に、神奈川県鎌倉市七里ガ浜で、逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆し、全員が死亡する事故が有った日なのだそうだ。その追悼式に、開成中学の系列校の鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教師だった三角錫子が鎮魂歌として作詞した「哀歌(真白き富士の根)」が歌われ、1915年(大正4年)には、そのレコードが発売されたのだそうだ。
子供の頃、「真白き富士の嶺」を、学校で習ったものかどうかの記憶は曖昧だが、何故か強烈に脳裏に焼きついている楽曲のひとつである。そして、「泣ける歌」でも有る。
メロディーの原曲は、アメリカの讃美歌なのだそうだ。

三角錫子 作詞
「真白き富士の根(嶺)(七里ヶ浜の哀歌)」

             真白き富士の嶺、緑の江の島、
             仰ぎ見るも、今は涙、
             帰らぬ十二の、雄々しきみたまに、
             捧げまつる、胸と心、

             ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)、
             風も浪も、小(ち)さき腕(かいな)に、
             力も尽き果て、呼ぶ名は父母、
             恨みは深し、七里ヶ浜辺、

             み雪は咽(むせ)びぬ、風さえ騒ぎて、
             月も星も、影を潜め、
             みたまよ何処に、迷いておわすか、
             帰れ早く、母の胸に、

             みそらにかがやく、朝日のみ光、
             暗(やみ)に沈む、親の心、
             黄金(こがね)も宝も、何にし集めん、
             神よ早く、我も召せよ、

             雲間に昇りし、昨日の月影、
             今は見えぬ、人の姿、
             悲しさあまりて、寝られぬ枕に、
             響く波の、音も高し、

             帰らぬ浪路に、友呼ぶ千鳥に、
             我も恋し、失(う)せし人よ、
             尽きせぬ恨みに、泣くねは共々、
             今日も明日も、かくてとわに、

「真白き富士の根(嶺)(七里ヶ浜の哀歌)」・唄 ミス・コロムビア(松原 操)

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その31

2023年01月23日 11時36分52秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真がブログから消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。

「gooブログ」に引っ越してくる以前、「OCNブログ」時代、2012年2月17日に、書き込んいた記事、「伊豆ケ岳と武川岳」が、目に止まり、懐かしくなってしまい、コピペ、リメイクすることにした


古い写真から蘇る思い出の山旅・その31
「伊豆ケ岳(いずがたけ)と武川岳(たかがわだけ)」

今から21年前2002年4月29日に、妻と二人で、奥武蔵の「伊豆ケ岳・武川岳」を訪ねたことが有った。事前に計画したものでは無く、連休の前半、自営の仕事の合間、朝思い立って、気晴らしドライブを兼ねて、急遽出掛けたような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、写真は、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだもので、拙劣写真が数枚しか無い。記憶はどんどん曖昧になっているが、写真や当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。                                       

コース・歩程等

県立名栗少年自然の家前駐車スペース→ツガの木台→長岩峠→(男坂・鎖場)→伊豆ケ岳山頂→山伏峠→前武川岳山頂→武川岳山頂→(オオクリ沢コース)→県立名栗少年自然の家前駐車スペース 
(標準歩行所要時間=約4時50分)

(昭文社の「山と高原地図」より拝借)

午前8時頃、県立名栗少年自然の家前駐車スペースを出発、永井谷林道から左に入ると、しばらく、丸太の階段が続いている。ツガの木台付近では、ウグイス、ブッポウソウの鳴き声が聞こえ、
檜林では、チゴユリが見られた。

長岩峠で、正丸峠からのメインルートと合流
尾根上では、展望が開ける、


伊豆ケ岳山頂直下には、男坂、女坂の分岐が有るが、
当然の如く?、男坂(鎖場)の方を登った。

伊豆ケ岳山頂(標高851.4m)
3~4組の家族連れが休憩中、

伊豆ケ岳山頂から、一旦、山伏峠に下山し、武川岳へ登り返す。
2時間余り、急登に喘ぎ・・・・、

11時頃、前武川岳山頂(標高1,003m)を通過、
11時30分頃、武川岳山頂(標高1,051.7m)に到着。
子供の団体、7~8組のグループ、家族連れが居合わせ、
広い山頂もいっぱいだったようだ。

すっかり忘れていたが、
昼食は、ガスコンロ持参、「ラーメン」と書いて有る。
たっぷり休憩し、オオクリ沢コース、樹林帯を急下降

13時頃、県立名栗少年自然の家前駐車スペースに帰還、帰途に付いた。
やはり、数ヶ月振りの山歩きだったため、かなりバテたようだが、
初めての「伊豆が岳・武川岳」、十分堪能出来たのだと思う。

 


読めない書けない難漢字 No.53

2023年01月23日 06時26分28秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ、新聞等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が、結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字でも、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しである。

先日、読んだ時代小説の中で目に止まった言葉「もんどりをうつ」の漢字表記も、そのひとつだ。「もんどりをうってたおれる」等とよく使われる言葉だが、漢字で書いたことも無ければ、あまりお目にかかったことも無い漢字のような気がする。漢字を知らなくたって暮らしで困ることも無し、今更覚えよう等という気はサラサラ無いが、書き留め置くことにする。












(漢字)

翻筋斗を打つ

(意味)

とんぼ返りをする。
「もんどり」は、髪を束ねて結んだ「髻(もとどり)」のこと。
髻を地面にぶつけるようにひっくり返る・・の意。

(使用例)

浪人は、翻筋斗打って、倒れた。

(拡大してみると)

翻筋斗を打つ

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