たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「素敵なあなた(Bei Mir Bist Du Schon)」(再)

2023年01月12日 17時06分53秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日の日の入時刻は、16時49分頃、
快晴の1日、西の空が焼けているが、急激に冷え込んできた。

夕食前の手持ち無沙汰な時間、久し振りにスイングジャズを聴きたい気分になり、古いCD「ベニー・グッドマン(Benny Goodman)」を引っ張り出して聴いているところだ。ベニー・グッドマンは、1909年5月30日生、1986年6月13日没、アメリカのクラリネット奏者、バンドリーダーで、「スイングの王様(King of Swing)」等と称され、1920年代~1980年代に活躍、「シング・シング・シング」等、数多のジャズ演奏で知られている。1955年(昭和30年)には、映画「ベニー・グッドマン物語」が、日本でも公開されおり、記憶曖昧だが、地方の映画館で観たような、後年になって、テレビの映画番組で観たような・・・気もしている。

「シング・シング・シング」、「君去りし後」、「レッツ・ダンス」、「素敵なあなた(歌 マーサ・ティルトン)」、 「身も心も」、「その手はないよ」、「可愛い子を見つけた」、「キング・ポーター・ストンプ」、「ムーン・グロウ」、「明るい表通りで(歌 ペギー・リー)」、「サヴォイでストンプ」、「スター・ダスト」、「天使は歌う(歌 マーサ・ティルトン)」、「グッドバイ」

その中から1曲、「素敵なあなた(Bei Mir Bist Du Schoen)」を、YouTubeから共有させていただいた。

若い頃、良く聴いて脳裏に焼き付いているジャズのスタンダードナンバーのひとつだが、多分 「聴いたこと有る・・・」という方も多いと思われる、懐かしい曲である。

今更になってネットで調べてみると
「素敵なあなた(Bei Mir Bist Du Schon)」の原曲は、1932年(昭和7年)に、ショロム・セクンダ(Sholom Secunda)が作曲した楽曲なのだそうだが、1937年(昭和12年)に、コーラスグループ、アンドリュー・シスターズ(The Andrew Sisters)録音のレコードがリリースされて 大ヒットしたようだ。
グレン・ミラー、ベニー・グッドマン等 数多の楽団や歌手にカバーされているが、日本では、雪村いづみの「素敵なあなた」が良く知られている。

ベニー・グッドマン&マーサ・ティルトンの「素敵なあなた」(YouTubeから共有)

アンドリュー・シスターズの「素敵なあなた」(YouTubeから共有)

 


「かんじき」

2023年01月12日 09時43分19秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、6年前、2017年1月25日に、ブログ・カテゴリー「M男のあの日あの頃」に書き込んでいた記事、「かんじき」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
2017年1月25日
「かんじき」

M男は、昭和20年代、30年代、高校卒業まで北陸の山村で暮らした。故郷を離れて60数年にもなり、子供の頃の記憶や印象も、もはや曖昧模糊となってしまっているが、それでも、特に冬になると、断片的に想い浮かんでくるものが多々有る。
当時の積雪量が、記録上、今より多かったのかどうかは分からないが、M男には、かなり多かったように思われてならない。それは、単に、今のように、道路が除雪されたりすることなく、村落が 冬中、雪に埋もれていた情景が脳裏に焼き付いているせいなのかも知れないが・・・。
車社会になる以前の時代の話である。村落内の生活道路や農道等は、全く舗装もされておらず、12月中旬頃から降りだした雪は、積り積もって、やがて根雪となるが、50cm、1m・・・と 積もってしまうと、もう除雪はされず、バスや自転車の通行も出来なくなったものだ。
住民の往来は、道路に積もった雪の上を「かんじき」で踏み固めた、1本の通路のみになる。
夜間に、ドカッと降り積もった朝等は、まだ暗い内から、申し合わせたように、集落の各家々から 男衆が出てきて、ラッセルしながら、それぞれの持ち場を、「かんじき」で踏み固め(「道踏み」 と言っていたような気がする)、通勤や通学の通路を繋げていくのだった。
1日中、降り続くことも多かった。そんな日は、数時間毎に、必要に応じて、各家から女衆も出て 下校してくる子供等のため、「道踏み」をしなければならなかった。
中学生の男子ともなると半人前の男衆と見られていた時代、M男も、父母が都合つかない場合等には、「道踏み」をしたものだった。
カメラ等、普及していなかった時代、当時、M男の家で使っていた「かんじき」の写真等は残っていないが、下記のようなものだったと思う。

(ネットから拝借画像)

「かんじき」で踏み固めた通路と言っても、歩けば綱渡りの如くで、右に、左に、ブスッ!、ブスッ!と埋まり、長靴の中には雪が入リ、その都度、片足立ちし、長靴をひっくり返し、雪を出すが、ズボンの裾や靴下は、ビショ、ビショ濡れる。家に帰り着くと、脱いだズボン、靴下は 炭火の掘り炬燵に突っ込んで乾かし、学校では、ストーブに足を近づけ、湯気が立ち始めるまで暖めたものだ。
今は、行政が主要道路や生活道路を除雪車で除雪したり、消雪道路化も進んでおり、さらに各家々でも、除雪機を保有したりして、冬中、道路も確保される時代。隔世の感有りである。
最近は、スノーハイク、かんじきハイク等で体験するしか無くなりつつある「かんじき」、わずか60数年前の暮らしが、昔話になってしまった。
今冬の年末年始は、比較的暖かく穏やかだったが、1月中旬以降の強い寒波で、各地が大雪になっている。雪国の人達の大変さを身に染みて感じながら、子供の頃の冬に思いを馳せてしまっている。


今冬も、年末年始は、主に、北海道や東北日本海側、北陸地方等で、記録的大雪に見舞われたが、1月中旬になりやや落ち着き、例年よりやや温かい冬?等とも言われているが、すでに、降雪積雪による、交通混乱、自然災害、死傷事故も生じており、関係者は、大変な思いをしておられるはずだ。冬来たりなば春遠からじ。願わくば、冬将軍には、このままおとなしく、撤退してもらいたいものだ。